第56章 事件
「―――――………何もないよ。」
「―――――嘘はやめてください……!」
「―――――嘘じゃない。何もない、ことになった。私はただの兵士で――――――リヴァイ兵士長は上官。………そう、ただそれだけ。」
私の言葉に、ペトラはその大きな瞳を見開いた。
驚きの中に、微かに喜びの色が見える。
なんて正直で、まっすぐで、綺麗なんだろう。
私とは違う。
「―――――ナナさんがいる限り、敵わないって、思ってたけど――――――………。」
「…………。」
「諦めなくていいってことですよね、私。」
ペトラが真っすぐに私を見つめる。
その眼差しはとても強くて、美しかった。
「―――――私が決めることじゃないから………。」
「そうです……よね……。」
「―――――………。」
「私、もっともっと強くなって―――――兵長の横で、同じ物を見て、同じ物を目指せるように―――――……頑張ります………!」
「――――――………。」
何も言えなかった。
ペトラなら、なれるだろう。
まっすぐで、強くて、美しい。
リヴァイ兵士長のあの圧倒的な強さと美しさの横に並べる。
そして――――――いつか彼の特別になるんだろうか。
あの目で、あの声で、彼女を腕に抱いて、彼女の名前を呼ぶのだろうか。
「………ナナさん……?」
俯く私をペトラが覗き込む。その優しささえ、今の私には疎ましく感じてしまう。
自分で決めたことなのに、なんて嫌な女になったのかと絶望が絶えない。
「―――――……応援する、って、言えなくて……ごめん………。」
「―――――ナナさ………。」
「ごめ………執務の、時間だから…………戻る、ね………ありがとう、ごめん……。ごめんね……。」
私は辛うじて謝罪の言葉と言い訳を繋ぎ合わせて並べ、その場から走り去った。