第35章 疫病
「医学生の時、贈ったんだ、紅茶を。でも『好きじゃない』と言われてしまってね。それきりだ。結婚してからも頑なに飲まなかったな。」
私の記憶と食い違う。
私にとっての母の味は、紅茶だ。
記憶の限り、母はいつも紅茶を飲んでいた。
「――――――お母様は、紅茶が好き、だったでしょう………?」
「………いや?そんな記憶はない。……まぁ、お前たちが生まれてからは特に、私がほとんど家にいなかったこともあるが。」
父はまた自嘲気味に笑った。
なぜだろう。でも確かに母は紅茶を飲んでいた。
とはいえその不思議な思い出を掘り下げる余裕もなく、私は執務に取り掛かった。しばらく経って、奪還作戦に関わる大量の資料が届けられた。
派遣した医師のリストと、上がってきた報告書を照らし合わせていく。
その中の一つに目を止める。
「…………クロエ・リグレット――――――帰還。」
私がポツリと事実を述べると、父の動きが静止した。
そして、ただ小さく、ポタ、と涙が落ちる音がした。
顔を隠すように俯いた父を、私は見ないようにしながら、私もまた込み上げる涙を堪えていた。