第219章 影
「ころばないよ?」
「……どこが。この膝の傷はなに?ここも。ほら、掌すりむいてる。」
ほら、見てごらんと目の前にその小さな掌をずい、と出すと、小さな舌を出して悪戯に微笑むんだ。
「……えへへ。」
「傷なんて作っちゃダメだよ、お母さん、悲しむよ。」
「おかあさんかなしむって、どうしてわかるの?」
「………………。」
「………ここに、いないのに。」
その目は、純粋に “なぜ” を問う目だったと、思う。
まさかまだ4歳の子が、母が側にいないことに対して恨み言を言ったわけじゃない。
――――そう、思いたい。
それほどまでに寂しい思いをさせていると、したら……僕は、とても悲しいから。
僕の表情をじっと見ていた彼女は、途端にニコッと花が咲くように笑った。
「ろいおじさ、はやくなおるおまじないして!」
あまりにその笑顔が愛らしくて、ホッとする。
「うん、いいよ。」
僕はふっと笑って、小さな膝のちょっとした擦り傷に手を添えて、昔姉さんがしてくれたおまじないを思い出しながら、魔法の言葉みたいにそれを唱える。
「痛いの痛いの、飛んでけ。」
「いたいの、いたいの、とんれけ!」
「飛んでけ。」
「とんれけ?」
「と・ん・で・け。」
「と・ん・で・け!」
「うんそう。飛んでけ!ってほら、やってごらん?」
僕は小さな手を取って、その膝に沿わせて……傷口の痛みをどこかに飛ばすように、手を払って見せた。
彼女は真剣な顔でそれを見て、見よう見まねで声高らかに言った。
「とんれけ!!!!」
「うんまぁいいや、可愛いからそれで。」
僕に抱かれる小さな天使の頬に、キスをする。
エミリーにキスをした時とはまた違う、温かくて……愛おしくて、幸せで、大事なものなんだと再認識させられるような、心の奥がじんわりと温まるかんじだ。
彼女は僕の首にぎゅっと手を回して、しがみついた。
遠くからハルが、温かく……でも少し悲し気に眉をさげた表情をしながら、近付いてくる。