第174章 燈
「――――僕ね、自分のことがわからなくて……。そして誰も信じられない自分が、嫌いで………。家に帰りたくなくて、誰かに自分の汚さを咎められるのが怖くて、ここにいる………。」
「…………。」
「――――逃げてても何も解決しないのは、わかってるんだけどね。」
「…………。」
「自分のしたことの罪が重くて、潰されそうだ。」
マスターは何も言わず、カウンターに頭を垂れた僕を静かに見ていた。しばらくして、マスターが口を開いた。
「――――君は複雑に成長している途中なんですね。」
「…………?」
「――――健やかに悩みもなにもなく生きる一生もいいですが………私は苦みも渋みも酸いも甘いもある、ひねくれた人生を歩む人もまた、魅力的だと思いますがね。」
「…………。」
「ワインも人も、複雑な方が――――味わい深い。」
きっとマスターの意としていることの半分程度しか、僕は理解できてないと思う。だけど……頬が緩んで、眉が下がって……じわりと、涙が滲んだ心地がした。
僕はそれを隠すように残りのカクテルを飲み切った。
「――――ごちそうさまでした。」
「またいつでもどうぞ。」
「――――うん。また、来る。」
カウンターにお代を置いて、僕はその異次元空間を後にした。
相変わらず曇天の空からは雨が降りしきっている。
「――――汚いんじゃない、これも、“僕”の味……?」
――――帰ろう、家に。研究所に。
エミリーにちゃんと………謝る。
酷い事を言ったことを。
そして姉さんにも、次はきっと会わなくちゃ。
揺れるランプの燈を背にして、僕は家に向かって歩き出した。