第174章 燈
それからマスターは小さなグラスに幾つも、ワインやビールなどを少しずつ出してくれた。
初めて口にするようなお酒に戸惑いながらも、楽しい。
――――知らないと言っていいことが嬉しいんだ。無理に学ぶんじゃなく、興味を持って質問するということが嬉しいんだ。まるでお酒についてのレッスンでも受けるように、僕は色とりどりの美しいお酒に目を奪われていた。
すると、マスターがふふ、と小さく笑った気がした。
「――――マスター?どうしたんですか?」
「………いや、ちょっと思い出してしまって。」
「………なにを?」
「――――ここに来るといつも、君と同じように目を輝かしていた女性がいてね。」
「………。」
「――――彼女が泣いているんじゃないかと、今も心配してしまうんだ。」
「――――その人は、なぜ泣いているんですか……?」
僕の問に、マスターは少し悲し気に俯いた。
「………愛する人を失った。一緒にここに来ていた、とても幸せそうに。」
「――――そう、ですか……。」
マスターはそれからおそらくその女性とその女性の愛する人に想いを馳せながら、ただ静かにグラスを磨き上げていた。僕にはこれ以上綺麗になりようがないんじゃないかと思えるほど、ピカピカなのに。
静かなその空間に、きゅ、きゅ、とグラスが磨かれる音だけが響いていた。
それからしばらく僕は色んなお酒を少しずつ試してみては……首をかしげた。そんな僕にマスターはふっと笑みをこぼしながら問いかける。
「………気に入らなかったですか?」
「いえ、美味しい。すごく……。」
「どんなところがそう思いましたか?」
「………なんて言っていいか、正解がわからなくて。」
手に持った小さなグラスをランプの光にかざして呟くと、マスターはグラスを磨いていた手を止めてにこやかに笑った。