第174章 燈
そこは不思議な空間だった。
決して広くない、カウンターだけのバー。
カウンターの中の壁面にはあらゆる酒の瓶が並べられていて、戸棚にはピカピカに磨き上げられた輝くグラスが行儀よく並んでいる。
そこにマスターが立つと、まるで一つの絵画が完成したような、その場所はその人がいて初めて機能する、成り立つような……無駄がなく美しく、不思議な空気を醸し出していた。
この人がいないと、この空間はただの箱になる。
――――そんな確固たる居場所を持つマスターが、なぜか少し羨ましかった。
カウンターの一番奥の席に座ると、なんだか初めての経験に今更ながら少し、ドキドキする。
「――――普段の好みなどを聞いても?」
「あ……ワインは時々飲みます。特に何が好きとかは……なくて。」
「酒じゃなくとも、食の好みなんかはどうです?」
「――――特になにも。」
「好きなものがない?」
「ええ。――――生命の維持に不可欠だから食べてる。それだけ。」
僕がぽつりとつぶやくと、マスターはほんの少し悲し気に眉をさげて、微笑んだ。つまらない人間だなとでも、思われたのだろう。
けれど、マスターが次に僕に懸けた言葉は意外なものだった。
「――――嬉しいですね。」
「え?」
「――――君の好みを見つけられるかワクワクしてます。腕が鳴りますよ。」
なぜだろう、とても、嬉しかった。