第170章 不遣雨
「――――おい。」
「はいっ?」
「――――部屋がとれた。使え。しっかり休めよ。」
「えっ?」
御者の男は驚いて目を丸くしていた。
急な事態にも即座に動いていい働きをした。その分疲れたはずだ。明日も無事俺達を送り届けて貰わなくちゃ困るからな。
「――――こんな親切で太っ腹な客、旦那が初めてですよ……!」
「そうか。」
御者は嬉しそうに、部屋の鍵を握り締めた。
「――――ですが、いいんですか……?あの……女性は………。」
「いい。むしろ好都合だ。」
小さく答えると、御者の男はヒュウっと口を鳴らして笑った。
「――――色男だなぁ旦那。俺でも惚れちまう。いや、旦那に迫られて断る女はいねぇだろうな!」
「詮索はいい。行け。明日は10時にここに集合だ。いいな。」
「はいよ!ありがとうございます、では、旦那もごゆっくり!」
俺達の会話は聞こえていなかったであろう距離に……ロビーの隅に佇むナナは、呆然と俺を見ていた。
ナナの方に歩み寄って、部屋の鍵を見せる。
「305だ。行くぞ。」
ナナはその意味を理解して、乱れた様子でその場を去ろうと後ずさる。
「―――――わ、私……別のところ、探します……!」
その腕を掴むと――――……もう見慣れた、びく、と怯えた目を俺に向けた。
「あ?お前みたいな厄介な問題児を一人で別の場所に泊まらせる馬鹿がどこにいる。」
「――――だって……っ……。」
「――――状況が状況だ。理解しろ。来い。」
ナナの腕を掴んだまま、強引にその腕を引く。
ナナはふらふらと俺に逆らい切れないまま、ぐちゃぐちゃの心情だ、という顔を貼りつけて引きずられるように足をなんとか動かしていた。