第70章 香
ミケさんに言われた通りにシャワーを浴びて、すぐに団長室に戻ろうと歩を進める。すると、向こうから歩いて来る人影があった。どうしよう、今あまり会いたくなかった―――――……。
お手洗いか、別室に用があったのか、リヴァイ兵士長の姿だった。
何事もなくすれ違えたらと軽く会釈をしてその横を通り過ぎたその時、右手の手首を強く掴まれた。
「っ!!」
「――――おい。」
とても機嫌が良いとは言えない低い声に、恐る恐る振り向くと、なんとも表現しがたい複雑な表情で眉間に皺を寄せたリヴァイ兵士長と目が合った。
「はい………。」
「――――指、大丈夫か。」
「……あ、はい、もう随分傷も塞がりましたし――――大丈夫です。」
なんでこんな些細なやりとりで、心音が聞こえそうなほど鼓動が早くなるのだろう。
「そうか。」
「はい………。」
「……………。」
「……………。」
何かを言うわけでもなく、でも手首を離す気配もない。
どうしよう、香水のことでとても嫌な気分にさせたのだろうか。サンドイッチが口に合わなかったのか、紅茶の淹れ方が良くなかった?頭をぐるぐると色んな事が駆け巡る。
そんな中で発せられた言葉は、思いがけないものだった。
「――――家に………ロイのところに帰って、大丈夫なのか。」
「―――――え………?」
思わず目を見開いてその意味を問う。
まさか。
まさか………。
心臓が破裂しそうだ。
小さく身体が震えたと思うと、次の瞬間、苦しいほどにその腕に抱かれていた。
「―――――いくら弟だろうと、ロイのところに帰って―――――……またあの悲痛な声で俺を呼ぶようなことになるなら――――、……帰さない。」
「―――――…………!」
「――――例え父親の死に目に会えなくても、家族を裏切らせても、阻止してやる。」
―――――悲痛な声……?
なんのことだろう、でもその事実を知っていたことだけは確かだ。知ってて、知らないふりをしてくれていたのか。
あぁそうか、私が気付きたくなかっただけで―――――、多くの兵士の中でもその挙動だけで正体を見破ってしまうほどのこの人に、隠し通せるはずがなかったんだ。