第66章 垂訓
―――――懐かしい場所。
今はもう、蝉の鳴く声も聞こえない。山間の小さな集落の中の一軒家のドアをノックする。
「――――はい……。」
扉を開けたのは、胸元が覗くほどの襟の広い衣服を着た、乱れた黒髪の中年の女性だ。
その女性は怪訝な顔で俺の兵服と顔を何度か往復して、俺の訪ねて来た意味を測ろうとする。俺は笑顔で挨拶をした。
「こんにちは。」
「――――……え……あんたまさか………アーチ……?」
「はい、覚えててくれたんですね。お久しぶりです。」
「あ、ああ覚えてるよ……!大きくなったね……今は……その紋章は……憲兵団に入ったのか…!なんて、優秀な……。」
「いえ、そんな。」
「良ければお茶でも飲んで行きなよ。」
そう言って色を含んだ目線で俺を見上げる。沸き起こる吐き気を抑えて、笑顔を作る。
「――――嬉しいな。じゃあ、お言葉に甘えて。―――――今日は、おじさんは?久しぶりに会いたいな。」
「ああ、寝てるよ。待ってな。」
そう言って椅子に俺を座らせて質素なカップに入れたコーヒーを差し出すと、奥で眠る夫を起こして来た。
だらしなく肥え太った腹をぼりぼりとかきながら、その中年の男は俺を見て心底めんどくさそうに挨拶をした。
「――――ああ、あの家の―――――、大きくなったな。」
「こんにちは。お久しぶりです。近くまで来たから、近況報告をと思って。」
「………?ああ、そりゃどうも……。」
「――――娘さんは元気でやってますよ。おばさん似の綺麗な黒髪は長く伸びて―――――それはもう、強く美しく成長している。」
凍てついた笑みでそれを告げると、2人の顔が同時に凍り付いた。