●○青イ鳥ノツヅリ箱○●【イケシリ短編集】(R18)
第7章 麒麟が来る‗三話より〈イケ戦/光秀/帰蝶/BL〉
「…何を、やっている?」
「見ての通りの農作業だが?」
馬上から水田を見下ろし呆れる帰蝶を、光秀が見上げた。
光秀の手には鍬が握られ、みすぼらしい身なりで、泥で汚れた手拭いを首にかけ、汗に濡れた前髪は雑に撫でつけられていた。
常に笑みの絶えないこの男は、今日は一段と楽し気だ。
「そういうお前こそ、突然どうした」
言いながら、光秀が水田から道へ上がり、帰蝶の愛馬の手綱を取った。
見渡せば、少し離れた場所に付き人が一人、馬を降りて控えていた。
随分と身軽な訪問だ。
恐らくまた、こっそりと城を抜け出してきたか。
そう思案する光秀を、帰蝶もまた見下ろしていた。
帰蝶の目に、白銀の髪に汗の伝う顔に、泥が跳ねているのが見えた。
「…はぁ」
「ん?」
馬上で帰蝶の大きくため息を漏らすのを聞き、光秀の意識が帰蝶へ戻る。
見上げるその薄ら笑いを見下ろしながら、帰蝶は懐から手拭いを取り出した。
その端正な顔に投げつけてやる。
「―――おっと?」
しかし、光秀の手はそれをさらりと受け取った。
「拭け。ついてる」
「おや、それはお見苦しいものを…」
慇懃無礼な物言いに、帰蝶の萌黄の瞳が冷たく細まるのを楽し気に見上げ、右の頬を拭った。
「違う、逆だ」
「ん、そうか?」
今度は左の頬を拭うが、泥の付いた箇所を僅かに外れる。
「そこじゃない、その横だ」
「あぁ、ここか?」
泥とは真逆の横を拭う。
帰蝶の唇がちっと鳴り、面倒くさそうに馬から降りた。
「もういい…貸せ」
光秀の手から手拭いを奪うと、やや乱暴に光秀の頬を拭った。
「帰蝶…痛いぞ?」
「だろうな、黙れ」
言いながら、しかしその手の力がふっと緩んだ。
「存外、不器用だなお前…」
頬を拭いたその手でそのまま、光秀の髪に跳ねた泥も拭う。
他に跳ねたところはないかと見渡す忙しないその萌黄色の瞳に、光秀の口唇がふっと緩んだ。
「終わったか?」
「…まぁ、他には跳ねていないよう…だ…っ?」
不意に。
帰蝶の頬に、柔らかな温もりが降る。
ちゅ…
小さな水音を残し、それは離れた。
「……っ」
「礼だ…口付けでなければ、構わんだろう?」
悪戯をし果せた不遜な光秀の顔を、帰蝶が茫然と見上げて固まる。
言葉を無くし、遅れて頬が染まっていった。