第16章 今の、ファーストキス?《場地圭介》
「ネェって場地が好きなの?」
瞬間、佐野家のダイニングルームに静寂が訪れた。
と言っても、夕飯後の皿洗いをするためにキッチンの蛇口からは水が流れつづけているし、誰かが噎せるような咳も聞こえてきているから静寂とは言えないが、兄弟が多い佐野家にとっては珍しい静けさである。
泡と汚れがキレイに洗い流された皿を拭く手ぬぐいを手にしたまま、突拍子もなくダイニングルームに爆弾を投下したのは、佐野家の末娘であるエマ。
別に家内の空気を悪くしようとしたわけでは決してなく、ただ本当に、最近になって急に気になり始めたことをぽろりと零しただけだった。
「…え、えっ?な、ななななっんで知っ…」
手にしていた皿を奇跡的に落とさず、目を見開いて一歩後ずさったのはエマの一つ年上の姉であり、佐野家の長女である蛍。
数秒遅れてからエマの言葉を理解した蛍の真っ赤な顔とその動揺っぷりに、(あ、マジなんだぁ)とエマは背後に宇宙を背負いそうになりながら冷静に悟った。
意味もなく泡のついたスポンジをくしゅくしゅと揉んでいる蛍は、動揺のあまり蛇口の水を止めてしまった。まだ皿洗いは終わっていないのに。手も泡だらけのまま。
あぅあぅと言葉になっていない声を小さくこぼしている、蛍。落ち着きなく細かに瞬きを繰りかえす長い睫毛が揺れて、少し垂れた大きな瞳は涙が溢れてもおかしくないくらい潤んでいる。
エマの一つ年上の兄であり蛍の双子の弟でもあるマイキー、もとい万次郎と顔はそっくりではあるけれど、蛍はマイキーよりもだいぶお淑やかな性格をしている。本当に双子か?とマイキーと蛍は友人たちに問われることが多い。
祖父はよく、蛍は母に。万次郎は父に似ていると呟いている。
「や、やだ、エマなんで知ってるの、誰に聞いたのっ?…あ、け、圭介くんに知られてたらどうしよう…っ」
顔色は変わらず茹でダコ色の蛍。
泡だらけの手で頬を覆ってしまったことをエマは制止することなく、(ウチのネェが世界一可愛い好き)とまた宇宙を背負いそうになったところで我に返り、皿洗いを再開した。
「見てればわかるよ。でもネェはもっとこう……爽やか系の男子がタイプだと思ってたなぁ」