第2章 Lupine あなたは私の安らぎ
出張から一旦会社に戻るとキーボードを叩く音が静かなオフィスに響いている。
またか。フロアに入ると思ったとおりの人物が上司の俺に気づかないほど目の前の仕事に集中している。
定時はとっくに過ぎていて残業はこいつだけだ。
「おい」
「ひゃぁ!!!」
椅子から飛び上がりそうな勢いで色気も何もない悲鳴をあげたカズサ。これもよくある光景だ。
「またお前か、カズサ。仕事がそんなに好きか?」
「課長!出張からお戻りになったんですね。お疲れ様です」
「他はどうした。繁忙期でもないのにお前ひとりなのもおかしいだろうが」
「えーっと、ですね。怒りません??」
「理由による」
腕組みをしてカズサを見下ろす。原因の予想はついているし、こいつが本当のことは言わないことも知ってはいるが聞くだけは聞いてやる。
「実は週明けの会議に必要な資料翻訳が佳境に入ってまして、今夜でやっつけてしまおう・・と」
「阿保か、それをなんで1人でやっているんだ」
「仕事ですから…」
尻つぼみになる言い訳で確信が持てた。
こいつは要領は悪くない。むしろ良いくらいだ。そしてバカが付くほどお人好しだ。
「もう少しで終わります!だから大丈夫です!」
信用ならねえ言葉を鵜呑みにするほど節穴の目は持っていない。
PCに表示されているデータとデスクの資料を見れば“すぐ終わる”はずがねえ。
自席に戻って進捗状況を確認する。クソじゃねえか。
「半分寄越せ」
「いえいえ、ありがたいお言葉ですが大丈夫です!」
遠慮なのか、気まずいのか、しきりに大丈夫ですと固辞するカズサの席へ行き強引に自分のアカウントに手こずっている部分を送信する。
ひたすら恐縮しているカズサに口より手を動かせと言って2人分のキーボードの音が響く。
「すみません…出張から戻ってばかりなのに」
「気にすんな、それよりそっちはどうだ」
「課長のおかげでもう終わります」
「そうか」
もっと優しい言葉や労う言葉がでてこない自分の語彙力が恨めしい。
「こっちは終わった、そっちに送る」
最終確認をしているカズサに気づかれないようにフロアからでて自販機でミルクティーとカフェオレを選んでカズサのデスクにカフェオレをコトンと置いた。