第28章 花明かり〈煉獄杏寿郎〉
「 」
要が何を言っているのか、灯里(あかり)は理解できなかった。
ただその言葉に、灯里の視界に映る全ての色が消え、きこえていた鳥たちの囀りは遠ざかってゆく。
目の前にいた千寿郎は、膝から静かに崩れ落ちた。その小さな体に必死に押さえ込もうとする千寿郎の嗚咽だけが、灯里の耳に響いた。
要はまた何かを言って、空へと飛び立っていった。
夜の静寂を溶かすように、昇り立ての陽光が少しずつ辺りの家々を照らし始めていた。
あたたかい日差しが灯里の頬に当たり、そのぬくもりに膚(はだ)が酷く冷え切っていたことを知る。
強張り冷たくなった掌は、小さく震えていた。
「…千寿郎くん」
しゃがみ込む千寿郎の背中に、灯里は手を添えた。
「杏寿郎さんを、迎えにいきましょう」
千寿郎は濡れた頬を手で拭うと、静かに頷いた。
しかしそれでもまた、その頬には大粒の涙が止め処なく流れる。
灯里はただそっと、千寿郎を腕の中に抱き寄せた。
・・・
真っ白な百合に囲まれた杏寿郎は、まるで眠りについているようだった。
居間に置かれた棺。灯里はその隣に腰を下ろした。
目の前の光景が、本当に起こっていることなのか、それとも夢なのか、分からなかった。自分の体が無意識に呼吸を繰り返す度に、規則正しく上下する胸元が不自然に見えるほど、その空間だけ時が止まっているかのようだった。
杏寿郎の左眼に残る痛々しい傷跡に、額の切り傷。どれほど、どれほど痛かったであろうか。そしてこの傷跡は、二度と癒えることはないのだ。
杏寿郎の頬に灯里はそっと手を伸ばした。
しかしその手を添え続けても、灯里のぬくもりは哀しくもまた冷えていった。
灯里は、やさしく、焔色の髪を梳いた。
杏寿郎がいつも、自分にしてくれていたように。
おかえりなさい
杏寿郎さん
もう大丈夫です
お傍に 私がおります
声を掛ければ今にも目を醒ましそうな杏寿郎は、ただ安らかに微笑んでいた。
炎柱の訃報を聞き、その悲しみに暮れた何人もの鬼殺隊士が、手を合わせに煉獄家に訪れた。その中には杏寿郎と同じ柱を担う同志達もいた。