第2章 夜を忍ぶ
謙信「何か事情を隠しているようだが受け答えに嘘はなかった。お前が他意なく近づいたという話を信じてやろう。
馬鹿正直に安土の姫だと打ち明けようとしていたお前の誠意に応えてやる。
それにお前との時間は嫌いではない。小煩い時もあるが、裏表のないお前といると不思議と心穏やかでいられる。だが織田軍の者に見咎められたら牢に入れられるのは俺ではなく、お前だ。
そういう意味で俺に近づかない方がいい。俺に関わると碌(ろく)なことにならん」
『心穏やかでいられる』と言われて嬉しいと感じる反面、最後の言葉が気になった。
確かに敵国の人間と居るのを見られるのは良くないだろうけど、それ以上の意味が含まれている気がした。
「謙信様と関わると碌なことにならないなんて、どうしてそんな事をおっしゃるんですか?」
謙信様は視線をそらし、苦し気に顔を歪めた。
(いつも余裕綽々(しゃくしゃく)な謙信様がこんな表情をされるなんて)
謙信「俺は幼い日より戦の才覚にだけは恵まれていた。
しかし手を差し伸べ、近づいた者は必ず不幸になった」
「謙信様…?」
佐助君の背をさすっていた手を止めた。
代わりに謙信様の大きな手を両手で包んであげる。
時々感じていた謙信様の心の澱(おり)が少し見えた気がした。
「何があったかは知りませんが、そのように物事をとらえてはいけないように思います…よ?」
関わった人が必ず不幸になるなんて、そんな呪いのような現象があるはずない。
そう言ってあげたいけれど事情を全く知らない人間が無責任に励ますのははばかれた。
聞かせて欲しい、でもそんな事は言えない。
私は敵側の人間なのだから。
(もどかしい)
謙信「来い。今度は俺が話す番だ」
そう言って、さっきまで二人で話していた場所に戻った。
(もしかして話してくれるの?)
佐助君の様子を見てから座布団に座ると謙信様は物憂げな表情で過去を語り始めた。
それは謙信様と伊勢姫様の悲恋の話だった。
家臣の人達に反対されて二人は引き離され、伊勢姫は出家の道を歩まされた…やがて心痛のあまり自害。
話している間、謙信様は囲炉裏の火を瞬きもせず見つめていた。
心が乾ききった眼差しに心が痛む。
(伊勢姫様を亡くしてしまった時の傷が深すぎて…そんな目をしているのかな)