第2章 夜を忍ぶ
「っ!?」
低く落とされた声が不自然に切れたと思った時には肩を押され、視界に天井が映っていた。
目の前には私を見下ろす謙信様が居て、押し倒されたのだと気が付いた。
いつ手にしたのか苦無の先端が、鼻先数センチという距離にあった。
瞬きするのを忘れて謙信様を見つめる。
(怒ってる。声も、目も…怖い)
それだけじゃない。
身に纏う雰囲気からも怒りが伝わってくる。
城の部屋で『お前が安土の姫だったというのは、今は不問にする』と言っていたのを思い出した。
(危険な城を抜け、佐助君に薬を飲ませた今、これから謙信様に責められるんだ)
謙信様の怒気に触れ、恐ろしさで震えた。
一緒に飲んだ時の柔らかな雰囲気は欠片も見当たらない。
謙信「お前は最近噂が流れていた『安土の姫』だな。
奉公人とはよく言ってくれたものだ。なんの目的で俺に近づいた?」
「謙信様、落ち着いてください!
こんな物騒なものを突き付けられて、お話なんかできません!」
震える声と体で訴えるも、目の前の苦無の先端は離れる気配がない。
冷たく見下ろす表情には殺気がにじんでいる。
謙信「余計なことは言わなくていい。俺の問いに答えなければ、その頬に傷がつくぞ」
「い、いやっ、やめてください!」
謙信様の胸を押して距離を取ろうとするも力が入らない。
それを嘲笑うように謙信様は口を歪めた。
謙信「やわな抵抗だ…」
「謙信様は……私が知っている謙信様は、こんな事する人じゃ、あり、ま、せんっ!」
こみあがってきた涙が頬を流れ、言葉が途切れ途切れになった。
謙信「……」
私の涙を見て、謙信様の目が見開かれた。
軽く息を吐く音が聞こえ、謙信様の体と苦無の先端が離れていった。
私はグスッと鼻を鳴らしながら身を起こし、座布団の上に座り直して手をついて謝った。
「私が安土の姫で、それを隠していたこと…言い訳は致しません。
謙信様に近づいたのは、命を助けて頂いたからです。
敵、味方関係なく、ただ命の恩人である謙信様にお礼がしたかっただけなんです。
そのためにあの秋の日、城下でお見掛けした際に話しかけました。
決して他意はありませんでしたが、お怒りはもっともです。申し訳ありませんでした」
ポタポタと畳に涙が落ちた。