第20章 上田城の石碑
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その日の夜。
ゆりとたつきを寝かしつけ、パソコンで今朝のニュースと謙信様の情報を集めていた。
まず謙信様の周辺から調べようと思い、信玄様の情報を検索にかけた。
すると記憶しているものとは少し歴史が変わっていた。
『武田信玄は持病が悪化し、身を寄せていた春日山城から上杉家由縁の屋敷に居を移し療養を続けていたが、喀血を繰り返すようになった。
医師は匙を投げ、家臣や家族も覚悟をしていたが、ある朝信玄を起こしにいったところ姿が無く、文が一通残されていた。
その文には『戻るか戻らないかわからない旅に出る。私の不在は最低でも3年は秘匿とするように』と書かれていた。
残された者達はその文に書かれた内容を守り信玄の不在を隠し通したが、そのまま信玄は戻らず、どこへ旅に出たのかは未だにわかっていない』
「……」
教科書で習った時は信玄様は確かに病没だった。
3年云々のあたりは同じだけど、突然行方をくらませたという部分が変わっている。
それを読んで1つの可能性を見出した。
(もしかして信玄様は謙信様と一緒にワームホールを目指したのかな。幸村に石碑を託した佐助君も一緒に)
佐助君が幸村に石碑を依頼したのは私にメッセージを伝えたかったからだろう。
「もう開かないって言っていたのにな、ワームホール…」
『99%の確率で開かない』と言っていたのが思い出される。
「そういえば99%ってことは、1%あるんだよね…開く可能性が」
今更気が付いてハッとする。
99%と聞いて二度と開かないと決めつけていたけれど、佐助君は100%とは言っていなかった。
「だからって神頼みなの?佐助君…」
わからなくなってパソコンの前で頭を抱えた。
石碑のお伽話には『兎は毎日、月の神様へ『光の道を通してくれるように』とお願いしました』とあった。
自然現象だと言っていたワームホールが月に祈ったからといって発生するものだろうか?
お願いしてワームホールが発生するなら、そんな楽なことは無い。
「神頼みして開くなら、とっくにお願いして謙信様のところに帰ってるよ~!」
石碑の訳が間違っているのだろうかと、いくつかのサイトを覗いたけれどどれも似たような内容だった。
マウスから手を離し、考える。