第6章 看病四日目 二人の香
謙信「急に姫鶴の切れ味を確かめたくなってきた」
「は!?」
佐助「それは勘弁してください、謙信様」
佐助が抜かりなく身構え、舞は佐助を庇うように間にはいった。
自然になされた動きに胸が焦れた。
謙信「………」
いざとなったらこの女も愛する男のために命を投げ出すのか。
残された男がどのような思いをするか…お前なら知っているだろう?
(俺と伊勢のことを話したお前なら…)
刀を抜いた姿勢でじっと舞を見つめると、薄茶の瞳に迷いが生じた。
剣をつきつけられても本気で怖がっていないのは俺が佐助を斬るわけがないとわかっているからなのだろう。
(本当に愛する人間に危機が訪れた時…お前はどうするのだろうな)
引きつった顔で笑いとばす舞に心の中で問う。
ぼんやりとした答えが徐々にはっきりとしてきた。
(お前なら……二人で生き抜こうと必死に考えるだろうな…)
この女には良い意味で『死ぬ覚悟』はない。死ぬという選択肢を持っていない人間は生きるしかない。
舞が帰り仕度にはいり、湿った足袋と草履の感触に顔をしかめている様を気取られぬよう眺めた。
(……まただ、苦しい)
胸が苦しくて呼吸が浅くなった。
何かの病なのかもしれない。
手を伸ばせば触れられる。
触れれば苦しさが軽くなるような気がする。
だが触れたいのではない。
人の女に触れていいわけがない。
俺は一体どうしたい?
束の間自問自答を繰り返すが答えは見いだせず、胸の苦しみは続いた。
謙信「気をつけて帰れ。朝も言ったが道が悪い時は無理せずとも良い」
「はい、わかりました。今日は一日お世話になりました。
明日は謙信様が食べたことがない料理を作ろうと思っているので楽しみにしていてください。お酒にも合うと思います」
佐助のための料理だろうが酒にも合うなどと配慮を忘れないあたり、この女は優しい。
(この女の優しさがわずかでも俺に向いているのなら…)
乾いた心に一滴、また一滴と優しさが染み込んでくる
暗く冷たく…元に戻ろうとしていた心に、再び温かさと明るさが舞い戻ってきて、不思議と息苦しさから解放された。
謙信「ああ、楽しみにしていよう」
何かが俺を満たしてくれたような温かな気持ちのまま返事をした。