第88章 幸せを願う
女はあの時の秀吉の言葉に嘘はなかったと思っている。
夫が亡くなった直ぐ後、織田家も実家の斎藤家も衰退してしまった。
姿を隠さなければ女の身は愚か、目の前の息子も命はなかっただろう。
『どんな運命(さだめ)がくだろうとも、強く生きろ』
嫁いだその日に言われた言葉だ。
天下人の妻になったからといって安寧な日々はそうそうないだろうと。
今日は良くとも、明日、どうなっているかわからないと、そう言われた。
まさにその通りになった時、夫の言葉が強く胸に蘇った。
(私はあなたのために生きたかった。
今できるのは、あなたの血を受け継いだ息子や孫を守り、次代に、未来に繋げること)
男「父上は今の俺達を見たらどう言うのでしょう」
息子もまた、くまの人形を眺めながらぽつりとつぶやいた。
女「私のことは誉めてくださると思いますよ。
姫の身で、よく頑張ったと」
男「私は生まれを誤魔化し、徳川家に仕えていると知ったら、怒られていしまいそうですね」
女「さあ、どうでしょうね。
あなたの父上は皆様にはそれはもう恐れられていましたが、とても優しい方でしたから…」
男「父上の話を外で聞くと、とても『優しい方』には思えないのですが…。
きっと織田信長を『優しい』と言うのは母上だけではないでしょうか」
濃姫は口元に手をあて、クスクスと笑った。
白髪が混ざっていたが、美しい黒髪がそれに合わせて揺れる。
濃「いいえ、お会いしたことはありませんが、舞姫様もあの方の本質を見てくれていたようですよ」
濃姫は桃色の着物をきた『姫たん』を優しい眼差しで見た。