第82章 秀吉の願い
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次の日
誰にも気づかれることなく、ねねは秀頼を連れて城を出た。
秀頼が居なくなったと密かに騒ぎになっていたところで秀吉は大広間に家臣達を集め、新たな遺言を発表した。
子を誰かに攫われた上に無情な遺言。
淀の方はあまりのことにその場に倒れた。
家康はそれを横目に『殿のお言葉、ありがたくお受け致します』と頭を下げた。
その日の夜、秀吉は急変し、三成が秀吉の辞世の句を書き留める役を受けた。
露と落ち 露と消えにし我が身かな
『安土のことは』 夢のまた夢
ともに安土で過ごしていた三成は筆を持つ手を震わせた。
紫の瞳には涙が滲んでいる。
三成「殿……秀吉様、私も安土の頃の思い出は…っ、どれもかけがえのないもので、夢のようであったとそう思っています」
少し後ろに控えていた家康もこの時ばかりは秀吉の傍に膝をすすめた。
家康「安土で過ごした仲なので今だけ言わせてください。
秀吉さん、あんたは世話焼きだし小言ばっかりで凄く五月蠅かったです」
馴れ馴れしく『秀吉さん』と呼び、昔とはいえ『五月蠅い』とまで言い放った家康に、集まった家臣達がざわりとなった。
しかし素っ気ない口調に悲しみが混ざっているのを秀吉と三成だけが知っていた。
家康の膝の上で二つの拳に力が入った。
家康「ですが天下太平の世を望む姿にはいつも感心させられました。秀頼様のこと、どうぞお任せください。
必ずや『秀吉さんの願い』を叶えてみせます」
秀吉の願い、すなわち秀頼が自分自身で道を選び歩むこと。
それはねねと三成と家康だけの秘め事。
暗にそれを承諾したことを含ませ、家康は堂々と皆の前で言い放った。
家臣達は『秀吉の願い=秀頼が治める太平の世』と捉えるだろう。
二重の意味を含んでいるのに気づいたのは秀吉と三成だけ。
大胆な行動に秀吉は、おかしくてたまらなかった。