第1章 触れた髪
謙信「…酒を飲みにいくところだ」
(お酒っ?こんな日が高い時間から?)
そう思ったけれど、佐助君から『謙信様は無類の戦とお酒好きだ』と聞いていたので直ぐに納得する。
お酒、と聞いて数日前に仕入れた情報が頭に浮かんだ。
「奉公先で聞いた話なんですが、今の季節しか飲めない安土のお酒があるそうです。ご存じですか?」
謙信「何……それは本当か?」
「はい。生産量が少ないので安土城下にしか出回らず、直ぐに無くなってしまうとか…」
謙信様は躊躇していたけれど、背に腹は代えられないとでも思ったのか、
謙信「その酒を出す店まで案内しろ。今すぐだ」
と、急かしたのだった。
(やった、話にのってくれた!
お酒が好きな謙信様に少しでも喜んでもらえたら良いな)
店に案内するために謙信様と並んで歩いていると、少し嬉しいような恥ずかしいような気持ちになる。
大通りを抜け、城下の外れまで歩く。
やがて店に着くと、謙信様はみるみると不審な顔になった。
「ここは…茶屋ではないか?」
もっともな質問に私は直ぐ答えた。
「はい。お店の主人が蔵元と親しいらしく、期間限定でお酒を提供しているそうです。
お酒に合わせたお食事も出しているそうなので、この間のお礼と言ってはなんですがごちそうさせてください」
謙信様は驚いた顔をして言った。
「お前…本気か?女におごられては酒の味がわからなくなる。
礼と言うならば、この店を教え、案内したので充分満たしている」
(ぜ、全然足りない気がするんですけど…)
戸惑っている私をよそに、謙信様はさっさと空いていた長椅子に腰かけた。
「案内させるだけさせて返すような真似はしない。早く座って、食べたいものでも勝手に注文しろ」
(一人静かに飲みたいのかと思ったけど、ここまで言ってくださるのならお言葉に甘えようかな)
私は礼を言ってから、謙信様の隣にそっと腰かけた。
一緒にお品書きを眺めて、おつまみはこれだ、それだと話していると、敵将だということも怖い人だと身構えていたことも忘れてしまいそうになる。
(こうしてお店でお酒を飲むの、久しぶりだな)
思えばこの時代にきてから、誰かとこうして近い距離でお酒や食事を共にするのは初めてだ。
ふと友達との飲み会を思い出して、心が温かくなった。