第4章 看病二日目 効果のない線引
伊勢『海のない国で育ちましたので殿のように魚を綺麗に食べられなくて…。どちらかというと山の幸が好きです』
鈴を転がすような可憐な声が聞こえた。
伊勢と供に食事をするようになり、魚を食べ辛そうにしていたので理由を尋ねると恥ずかしそうに答えてくれた。
焼き魚の骨を取ってやっただけで至極嬉しそうに微笑んで…
謙信「…!」
もう何年も思い出していなかった記憶に胸が熱くなった。
(なんだ?この料理とは何も関係ないというのに伊勢との記憶が…)
忘れかけていた記憶が次々に現れる。どれもこれも俺と伊勢は仲睦まじく笑い合っている。
本当に短い間だったが俺と伊勢は確かに幸せだった。
最期があまりにも惨かったゆえ、幸せな日々の記憶さえ知らぬうちに封印していたようだ。
ちりばめられた星の如く、美しく儚い記憶。
幸せな記憶は胸を温めるのと同時に痛みをもたらしたが、決して嫌ではなかった。
伊勢がいなくなってからというもの、冷えて乾いていた内側に暖かな風が吹いた。
(胸の内を温める風は…舞がもたらしたものか…)
無神経ともいえる行動が意外にも俺の心を押し開いた。
謙信「お前はあっけらかんとした女だな…」
躊躇いつつ料理に箸をつけると、野菜と肉の旨味を吸った麺が思いの外美味だ。
舞が作る料理は素朴なものが多いが、どれも美味しい。
城で出される手の込んだ料理よりも、なんというか……作り手の温かみを感じる。
(戦が長引いた時に家臣達が『妻の料理が恋しい』と嘆いているのを聞いた事があったが……『家庭の味』とはこういうものなのか)
寺で過ごしていた頃は食事作りは修行のうちで、俗世に戻ってからは城の料理人が作った物を食べていた……家臣達が言う家庭の味を知らずに生きてきた。