第58章 時の神
信玄「やれやれ、真面目に考えているのが馬鹿らしくなる会話が聞こえたなー?」
振り返ると一抜(いちぬ)けてきたらしい信玄様が立っていた。
(ひと段落ついたのかな)
「信玄様、うるさくして申し訳ありません」
信玄「いや、おかげで冷静になれたよ。少し煮詰まっていたからな」
隣に腰を下ろした信玄様は晴れ晴れとした表情だ。
その顔を見て、信玄様が大事な決断をしたんだとわかった。
30年前の『時』に帰るか、帰らないか、どちらに決めたかは表情の裏に巧妙に隠されてわからないけれど……
「信玄様……」
なんと言っていいかわからなかった。
病気療養中、謙信様に半ば強引に連れだされ、信玄様の運命は大きく変わってしまった。
それもこれも私の存在がなければ起きなかったことだ。
私がタイムスリップしなければ、歴史が狂うことはなかったのに。
信玄「姫……、何を考えているんだ?俺は君に生かされたんだ。
無念を抱きながら死ぬ運命を、君は変えてくれた」
「………え?」
座っていても目線が高い信玄様を見上げる。
信玄「君と佐助が時を駆けなければ、俺は歴史通り病で死んでいた。
500年後の甲斐の国を見た時にな…思ったんだ。
国を奪われたのは悔しいし、信長が憎い。
だが誰が治めようと民が平和に暮らせているのであれば、それで良いんじゃないかってな」
信玄様は憑物(つきもの)がとれたような澄んだ瞳をしていた。
腫瘍があった場所に片手を添え、目を弓なりにして微笑んだ。
信玄「病を得たのは持って生まれた宿命だった。
抗い続けたが俺は病に倒れ……信長に負けたんだ。
気に食わない野郎だが、甲斐の民を虐げることはしなかった。治める者が変わった混乱を早くに収束させ、平穏をもたらした。
そのことが実り豊かなあの国へ繋がっているのなら、それで良い。
色々考えるとうっかり信長を殺しそうになるが、それで良い……と思うことにした」
(ああ、信玄様は決めたんだ……)
謙信様と同じで、元の歴史通りになるよう
……家族や家臣達のところへ戻らないと。