第58章 時の神
思い悩む私たちの前で、謙信様は静かに口を開いた。
謙信「このまま越後に戻らず、本当に死んだことにしておけば良い話ではないのか?
もとより舞と想いが通じたなら、死んだままでいるようにと佐助から言われていた。今更特段騒ぐことはない」
「……っ、それで良いのですか?謙信様を待っていらっしゃる方達がいるのではないのすか?」
会ったことはないけど景勝様、兼続様、その他たくさんの家臣の人達が待っているはず。
(それに牧さんだって…)
私のために女性の軒猿を育てると言ってくれていたのに。
待っていてくれている人が居るのに。
肩に回っていた手に力が籠った。前を向いていた視線がこちらに移る。
謙信「お前達とともに一日でも長く居られるなら、そうしよう」
「っ…」
瞬きせず、謙信様を見返す。
一言にこめられた威力に心を射抜かれた。
謙信「姿を消す前にあとのことは景勝に全て任せてきた。
あいつは今も俺の帰りを待っているだろうが、戻らずとも上杉を取り仕切ってくれる。
一度己の後を任せたのだ。景勝がどういう道を選ぼうとも黙って受け入れるのは、任せた者のつとめ」
静かな声色は謙信様の気持ちが定まっていることを教えてくれた。
現代で新潟に行こうとしなかったのは、様々な想いを飲み込んで受け入れたからなのかもしれない。
自分がああしたら、こうしたら…新潟はどうなっていたのか。
謙信様なりに考えてしまったのかもしれない。
(けど、景勝様の生き方を尊重し、受け入れたんだ)
複雑な心境を察してあげられなくて申し訳なかったなと反省する。
落ち込みそうになり俯くと、名前を呼ばれた。
二色の目が『お前が愛おしい』と訴えてくる。
端正な顔は清々しい笑みをたたえていて、細い指先が愛おしげに私の頬に触れた。
謙信「時の神が俺を歴史の表舞台から消したいと思っているのならそれに従おう。
些か気に食わないが、抗い、無駄に命を散らせば、俺は何のために500年後まで迎えにいったのだ?
お前を悲しませるためではない。
喜びも悲しみも分かち合い、命尽きるその日まで、ともに歩むためだ」
肩に回された力強い腕や、頬に触れる指先から、謙信様の存在を嫌という程感じる。