第58章 時の神
「謙信様…」
胸に顔を埋めて、愛しい人の名前を呼ぶ。
謙信「舞……もう離さない。どこにも行くな」
ぎゅうと腕に抱かれ、私も謙信様の首に腕を回し抱きついた。
「はいっ!もう絶対離れません!」
力いっぱい抱きしめて誓う。その時ふと潮の香りが鼻をかすめた。
「ん…?」
クンクンと謙信様の耳の後ろや首元の匂いを嗅ぐ。
「謙信様、なんだか磯臭いですね。ふふっ」
少し冷静さが戻ってきて、からかう余裕が出てきた。
謙信様が嫌そうに顔をしかめた。
謙信「泣いていたかと思えば、お前は…」
でもしかめっ面はそこまでだった。
チュッ
「!」
唇に触れた柔らかい温もりに呆気にとられた。
謙信様の顔は喜びが満ち溢れている。
口づけされた!と慌てた時にはもう後の祭りだった。
信長様は近くに立ったままだったし、私は抱き上げられ身動きできないし…
まだ視界には入ってないけど、近くに佐助君も居るはずだ。
(い、いたたまれない!!)
両手で顔を隠すしかなかった。
「謙信様……人前は嫌です」
謙信「ならば人気のないところに連れて行こうか?
会えなかった間の埋め合わせをしてやろう」
「な!?それは後です!」
そこで低い声に待ったをかけられた。
見ると信長様が小屋の方へ体を向け、こちらを振り返っている。
先程見せた陰りはなく、威厳たっぷりのいつもの信長様だ。
信長「積もる話もあろうが場所を移す。
舞、龍輝は蘭丸が一足先に小屋に連れ帰った。早く行って安心させてやれ。
佐助、他にも連れが居るだろう?その者達を連れてこい。
小屋はこの坂を上がりきった場所にある」
佐助「わかりました」
佐助君は無表情でこちらに手をふると去っていった。
(ふふ、佐助君も相変わらずで良かった)
歩き出した信長様の後を、私を抱いたまま謙信様がついていく。