第56章 窮地を救うは誰の手か
「大丈夫…、行こう。足元に気をつけて」
龍輝は無言で頷き足を踏み出す。
一歩、また一歩進む。
でも私達の一歩とクマの一歩は歩幅が違う。
少しずつ少しずつ黒い体躯が近づいてきて、ついに毛の質感がわかるところまで距離は縮まった。
鼻先が濡れて光っている。
真っ黒な黒目が私達に真っ直ぐ向いているのがわかる。
私達を襲おうとしているのか、単に興味があるだけなのか、とにかく近づいてくる。
悲鳴をあげて逃げ出したい。
でもそれをやってしまったらおしまいだ。
逃げる物を追う習性がクマにはある。
窮地に追い込まれ、でも何としても龍輝を逃がしたかった。
(そうだっ!)
佐助君からもらった煙玉とかんしゃく玉の存在を思い出し、ゆっくりとした動作で胸元から取り出した。
預かった巾着から出てきたのは煙玉だ。
(風向きが悪いな)
今投げてしまうと煙が横に流れてしまい、効果は薄い。
下手に刺激してこっちに向かって走ってきたら大変なことになる。
風を待つしかない。
「龍輝」
真っ直ぐクマを見据えたまま、小さな声で呼びかける。
龍輝「何?」
「ママが『走って』って言ったら林に向かって走って。
小屋まで走って信長様に知らせてくれる?」
龍輝「ママは?」
「ママには佐助君特製の煙玉とかんしゃく玉があるの。それを使ってなんとかするから、龍輝は走って。一人で行ける?」
龍輝は迷っているようだったけど二色の目をクマに向け、目元を鋭くさせた。
その顔つきがあまりにも謙信様に似ていて、こんな状況なのに感動しそうになった。
謙信様と私の宝物。
(絶対守る)
龍輝「………行く。行って信長様を呼んでくるっ!」
「ありがとう、龍輝。お願いね」
信長様を呼びに行ってというのは建前で、龍輝をここから逃すのが目的だ。
(まずは龍輝を生かす)