第23章 狼の里にて 前編*
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まだ朝月が柔らかな薄雲の空に浮かんでいる下で、昨日振りに土を踏みしめる。
夏の朝にしてはひんやりとした空気は高所ならではのものだ。
その澄んだ匂いを思い切り吸い込んで、その場所へと案内をしてくれる伯斗さんの後ろを歩いていた。
地上に出て少しばかりの勾配を上り、
ああ、あの覚えのあった気配はやはりあなただったのですね。 そう声に出さずに呟いた。
墓碑銘などは無く、旧く大きな石が組んであるここは確かに供牙様の眠っている場所。
高台にある里から見ると、遠くには山々や人の街。
ここの眼下にはと鬱蒼とした木々、それからここに来た時の道や点在している他の若狼の拠点らしきものも見て取れる。
「ここからは我々のすべてが見渡せるのです」
彼らの里はこの墓碑の背後にある。
供牙様は光が点かない灯台のように、今もこの場所を見守っているのかもしれない。
「思えば月が満ちるその前後に、伯斗さんはよく私の家に訪ねてきていました。 伯斗さんも琥牙の事を知っていたのですか?」
「……朱璃様から頼まれておりました。 初めの満月の晩に一度やり過ごしてからは、里以外では琥牙様の変化は無いのだろうと楽観していたのですが。 ……申し訳ありません」
「そうですか」
以前に琥牙が少し変化したその時の様子を、伯斗さんが詳しく聞きたがった事があった。
彼が風邪をひいた時のあの応対はおそらく天然なんだろうけど。
そういえば、そんな伯斗さんに琥牙はいつもどこか懐疑的だった気がする。
伯斗さんの態度に、何か不自然なものを気付いてはいたのだろうか。