第38章 心臓
「前に、千夏が言ってましたよ。学長はお父さんみたいだって」
「ふっ、何だそれ」
千夏の養父となった人は今でも健在で、普通に東京で暮らしている。
けれど、養父、養母共に、千夏とは既に縁を切っていて、お互いに今の暮らしを知らない。
しかも、お互いが望んで縁を切った。
正直、とても悲しいことだと思うけれど、千夏は何とも思っていない。
単に、養父養母に情を抱いていないこともあるが。
他の理由の一つが、学長のような人がいたからだと言っていた。
「まぁ、俺も娘みたいに思っているところがないとは言えないか…」
学長はため息混じりに微笑んだ。
「キモ」
「真顔で言うのは止めろ」
「本気で思ったから真顔なんです」
学長は苦い顔をして、再び小さく笑った。
そして、言った。
結婚式くらいは呼べ、と。
それに俺は口をへの字に曲げた。
「……やっぱり、喧嘩したのか」
「してませんよー。ただねぇ…」
俺はポケットに手を突っ込んで、車に寄っかかった。
既に伊地知は車に乗り込んでいる。
「タイミングが悪すぎて」
実のところ、千夏の誕生日にプロポーズをする予定だった。
千夏と初めて会った日、千夏と再会した日。
プロポーズの時期はうーーーーんと悩んだが、やはり千夏が命名された日…千夏がこの世に誕生した日がいいと思った。
千夏の存在に感謝すると同時に、かけがえのない存在であることを伝えるのに最適な日だと思った。
しかし。
「虎杖の件か…」
学長の呟きに俺は頷いた。
実際、悠仁は生きているものの、学長と千夏はそれを知らない。
こんなごちゃごちゃした忙しい中でプロポーズをするほど、俺も焦っていない。