第38章 心臓
「いつも通り、私の周りを飛ぶように歩いていたんだ。随分と嬉しそうに」
「嬉しそう?」
嬉しい?
虎杖の死を上回るほどの喜びがあったというのか。
「信じられないかい?」
「…ああ。笑顔の理由は聞いたのか?」
「もちろん。教えてくれなかったけれどね」
悟に聞けば分かるだろうか。
いや、悟は千夏が精神的に参っていると言っていた。
でも、あのバカップルのことだ。
直接会わずとも、連絡を取って知っていたかもしれない。
「それで、今の千夏は…」
「はぁ。千夏、千夏、千夏…。昔からお前は千夏に固執しすぎだよ」
「…固執、したくもなるよ」
あんなに崖っぷちで生きている人間が他にいるか?
一歩間違えれば、千夏は生きていなかったはずだ。
”…嫌だよ”
千夏が初めて話しかけてきた時から、俺は千夏をできるだけ守ろうと思った。
だって。
俺の服を掴んで、幼児のように目を潤ませて、精一杯にたのみごとをしてきたんだから。
「そうやって甘やかすから、千夏は退行姿勢をとるんだ」
「…防衛機制とはそういうものだ」
千夏が部屋に戻ってきて、俺達はこの会話をやめた。
今の千夏に交流会参加を認めるわけにはいかなかったけれど、冥冥が譲らない。
今の千夏に生徒達を会わせることが危険であることを、知っているはずなのに。
「これ、美味しいね」
「…あぁ、そうだな」
「ふふ」
本当に千夏は昔と変わらず子供だと思う。
面白いほどに大人とはかけ離れてる。
最近は随分と大人になったと思っていたが、やはりこうなってしまうと千夏はやはり変わっていないのだと思う。
「千夏」
「何?」
「千春は、元気か?」
「んー。何か怒らせちゃったみたいで。呼んでも出てきてくれないの」
「そうか」
ここまでの幼児退行は、千春がいないことも関係しているのだろうか。
コンブが言っていた。
千春がいなくなった時のQは本当に赤ちゃんだったんだよ、と。
”千夏の幼児退行の具現体”である、コンブがそう言ったんだ。