第36章 不慣れ
全く面白みを感じない僕は、黙って席を立った。
「ふはっ。帰んの?」
「そう。誰かさんがいじめるから」
「まぁ、どうでもいいけど。千夏には打ち明けることをオススメするよ」
右手を軽くあげてドアの取っ手に手をかけた。
「”あーあ。彼の件を伝えたら、今度こそ壊れちゃうなぁ”」
最後の硝子のクスッとした笑い声が、やけに頭に残った。
「”人が生き返る。そんな希望を持たせたら、あの子は…”」
「何が言いたいの?」
「別に」
「…あのねぇ」
僕は両手を上げて、首を振った。
「お前、どっちの立場?」
「どっち、とは?」
硝子が腹黒いことはとうの昔に知っているし、この薄ら笑いが人を馬鹿にする時に浮かべることも知っている。
「…やめやめ!ほーんと、いい性格してんね」
「図星だろ?」
「あーーーーーー。ムカつく」
硝子の笑顔が腹立たしい。
硝子の言っていることが、半ば当たっているからこそ腹立たしい。
千夏が悠仁が生きていることを知ったら。
人が生き返る可能性に希望を持つようになってしまったら。
千夏は止まらなくなる。
どこまでも、どこまでも、人の死を追いかけていくはずだ。
遂に、千夏は死と決別できなくなる。
僕は…そして硝子は、それを危惧していた。
「あと、もうひとつ」
「…何?」
「千夏は絶対に五条から離れない」
死んでも…、と。
そんなこと、僕だって分かっている。
千夏の愛はきちんと届いている。
「あー、思い出しちゃったじゃーん」
「私には五条が焦る理由が見当たらない」
「硝子もそういう恋をしたら分かるよ。いくら相手を信じてても、不安なものは不安なの」
「…ふはっ。七海がフレンチキス…」
「フレンチ?ディープな方だってば」
「フレンチキスはディープな方って意味だから。ばーか」
最近、少しだけ千夏を愛する気持ちをどこかに置いておきたくなる。
このままだと、僕は千夏の全てを独占したくなる。
自分がこんなに嫉妬深い男だとは思ってなかった。
この気持ちがここまで廃れない感情だとは思ってなかった。