第32章 世代交代の道標
当時、大好きな人がいた。
その人は私より何歳も年上で、私達を家に招いては、おいしいお菓子をくれた。
そのうえ、とても優しくて、優しくて。
お人形さんみたいだと、ずっと言い続けた。
沙織ちゃんみたいになりたいと、陰で努力していた。
だから、沙織ちゃんがいなくなって、私は自分の一部を取り除かれた気がした。
鼻の中に自分の涙が入ってくるくらい、大泣きした。
あんなに泣いたのは初めてだったと思う。
その日の帰り、友達のふみといつも通りの道を歩いていた。
何か話そうとしても、沙織ちゃんのことしか思い浮かばなかったから、ずっと黙っていた。
きっとふみも同じだったと思う。
2人してべそ掻きながら歩き続けた。
「やっほ。君達は何年生?」
だから、女の人が突然現れても、驚くような状況ではなかった。
「お姉さん、だれ?」
ふみが聞いた。
普段は大人しい子なのに、こういう時は大胆になる。
「私?私は…なんだろ。何がいいかな?」
私の住んでいた村は、気味が悪いほど仲が良かったため、見知らぬ人と会う方が珍しい。
だからなのか、”不審者にはついていかないように”なんていう注意は受けたことなかった。
例え受けたとしても、私は聞き入れなかったと思うけど。
「私のあだ名。君たちが決めてよ」
「あだ名…?」
「そう。お姉さん、色々大変な立場にあって。名前を言うと結構危ないから」
「危ない?」
「そう。殺されちゃう」
ふみが手を握ってきた。
この人の笑顔に恐怖を感じたようだ。
「あんた、誰?」
「悪い人じゃないよ」
「悪い人じゃないなら、なんで殺されるの?」
「おっ、確かに。じゃあ、私は悪い人なのかも」
ふみは怖がっていたけど、私は全く怖くなかった。
何故かは知らない。
「ん、まぁ。しばらくここにいるはずだから、予想外のことが起きなければ?うん。会ったら挨拶してね」
そう言って、その人は住宅街と反対に歩き始めた。
そっちは森だと、ふみが声を掛けたが、手をヒラヒラとさせてそのまま言ってしまった。
世の不審者はこうやって子供を油断させるのか。
そんな風なことを思った。