第28章 初枝さんの思惑
そういえば、とふと疑問を抱く。
初めて坊ちゃんの笑顔を見たのはいつだろうか。
もう20年も前のことだ。
覚えていない。
けれど、とても感動した気持ちだけは、微かに残っている。
「おばば!終わりましたー」
真面目に掃除した訳でないのに、一丁前に顔を扇ぐ小娘。
私と目が合うと、ニッコリと笑みを送ってくる。
『痛い〜!はーなーしーてー!』
そうか。
思い出した。
『初枝さん、酷いよ。私、五条君と遊びたいだけなのに…』
『それがいけないと、何度言ったら分かるんですか…!それに、小娘に”初枝さん”と言われたくありません』
『でも、初枝さんは初枝さんでしょ?……あぁ、あだ名で呼んで欲しいのか』
『違います…!』
今思えば変な子だった。
時折見えない誰かと会話しているような。
けれど、坊ちゃんが知らぬ顔をしていたので、呪いの類でないことは確かだと思い、自分も知らぬ顔をしていた。
『じゃあ、おばばだ!お・お・ば、初枝さんだから、おばば!』
『なっ…!』
ケラケラと笑う小娘に腹が立ち、血管という血管が膨張した。
コソッと隠れて小娘を放たなければいけないことを忘れ、つい大声をあげそうになった。
けれど…。
『あははは!』
『…ぼ、坊ちゃん…』
坊ちゃんがお腹を押えて笑った。
あの、坊ちゃんが、笑ったのだ。
信じられなかった。
怒りなど忘れて、自分の口からも機械のような笑いが出た。
『もう、おばばでいいから…。帰りなさい!』
『じゃーね、五条君!また明日!』
『うん』
『もう来るな!』
坊ちゃんが笑った。
その笑顔を守りたくて。
『いいですか。あの子のことはおばば以外に言ったらダメですよ』
『うん…っていうか、今自分でおばばって…』
『少し気に入ったんです。似合いませんか?』
『ううん』
坊ちゃんはまた笑った。
あの小娘が坊ちゃんの笑顔を取り戻してくれた。
”おばば”には、そう思えてならなかったのだ。