第18章 カゲロウ
「硝子には、たく…」
「結構」
やめてくれ。
それ以上、私の大好きな声を響かせるな。
「出てって」
「しょう…」
「出てって」
こんな怒りなんか、感じたくなかった。
嬉しさを怒りに変換したくなかった。
今の私は嬉しさをそのまま感じるための器官が壊れているようだ。
「分かった」
彼女は帽子を深くかぶり直し、笑っていた。
「後でまた来る」
見てるこっちが心地よいほど、笑っていた。
「来ても、いいかな」
その顔をするのはやめろ。
私は頼みごとを断れない性格なんだ。
「勝手にしろ。私はここにいる」
だから、何でもかんでも受け入れてしまうんだ。
大好きな顔で言われたら、なおさら。
「よかった」
だから、その顔はやめろ。
昔のことは思い出したくないんだ。
「またね」
そう言って、彼女は消えた。
一瞬にして、消えた。
窓が開いているから、そこから出ていったのだろう。
『またね♡大好きだよ、硝子』
実質的に彼女の最後の言葉となった、この文章。
もう何年も手紙は読んでない。
どこにあるかすら、少し不安だった。
この「またね」は、約十年越しに真実として成り立った。
今さっき彼女が言った「またね」が真実になるためには、一体どれくらいの時間が必要なのだろうか。
また十年もかかるのだろうか。
十年もここにいなくてはならないのだろうか。
(もう、時間なんてどうでもいいか)
とりあえず、私は書類を書き直さないといけない。
その傍らで、気持ちの整理をしよう。
ここの仕事が尽きることはない。
何年でも待っていてあげよう。
彼女が再び笑いかけてくれるまで。