第18章 カゲロウ
「大丈夫、大丈夫」
あ、この声だ。
記憶の中にあるこの声を、私はずっと抱えて生きてきた。
気分が昂って感動してもおかしくないが、そういう種類の感情は抱いてなかった。
新しいおもちゃを買ってもらったのではなく、ずっとなくしていたおもちゃを見つけたときのような。
開いた穴に隙間なくスッポリとピースがはまるあの感じ。
涙が1滴落ちた。
乙骨君の頬を濡らしてしまった。
申し訳ない。
3歩だけ、彼は歩いた。
高身長が故の大きな足を使って。
「僕の教え子に手を出すのはやめてくれない?ゴン太さん」
僕?
教え子?
私がいない間に、彼は随分と変わってしまったようだ。
けれど、声や雰囲気、可愛い教え子を助けない辺りの適当さ。
変わっていないところも沢山ある。
それでも、五条が先生として生活している所を想像すると、おかしくて。
思わず、笑ってしまった。
「どの顔が教鞭をとってるって?」
「見てみたら?」
見て、いいのだろうか。
私は理由を説明せずに、勝手に出てって、勝手に無視して、勝手にやってきた女だ。
怒られる覚悟はできていた。
ゆっくりと立ち上がり、汚れを払った。
そして、恐る恐る振り返った。
ああ、この人だ。
やっぱり、この人が私の運命の人だ。
「おかえり」
彼と会えなくなることが、何よりも不安で仕方なかったあの頃。
実際にそうなってしまった時に、やっぱり受け入れられなかったあの頃。
毎晩涙を流していたあの頃。
彼との記憶を抱いて無我夢中に動いていたあの頃。
夏が来るのが怖かった、あの頃。
二度と会えなかったら、と考えては落ち込んでいたあの頃。
どんなに時間が経っても、五条への想いが廃れなくて、辛かった。
何度も会いに行こうと思った。
でも、ここまで我慢した。
我慢して、やっと今、こうして彼を見上げることができている。
最初はドラマチックな言葉で始めよう、とか考えていたけれど。
そんな余裕はなかった。
言いたいことがありすぎて、まとまらない。
だから、この一言に、全部の想いを込めよう。
「ただいま」