第68章 熱意の萌芽(ほうが) / 🌊・⚡️
大きくなった香油の容器を持ち上げ、まじまじと見つめる善逸の双眸はキラキラと輝いている。
「雨が続くと人間の皆様は気持ちがジメジメとしがちなのでしょう? ですからさっぱりとした柑橘類の香りが良いかと思いました」
「ありがとう! やっぱり七瀬ちゃんに頼んで良かった〜」
大きくなった香油の容器に頬擦りする善逸は表情が緩み切っており、眉毛も目尻も垂れ下がっている。
「善逸様も物体変換術をもっと高めて下さいませ」
「ダメだよ、俺は。別の物に変化させるのすっげー苦手だもん。それは君もよく知ってると思うけど」
もったいない。
七瀬は言おうとした言葉を喉元まで出しかけたが、そっと胸の中に閉じ込めた。
主に嫌われたくない為だ。
「じゃあ俺、禰󠄀豆子ちゃんの所に持って行って来る!これから雨が降るって今朝予想してたからさ。悲鳴嶼さんが」
「はい、いってらっしゃいませ」
「うん、ありがとう。行って来ます」
善逸は香油が入った容器を一度ポンと触ると、大事な物を抱えるように胸に引き寄せた。
十メートル程歩いた所で、彼はピタと止まると後ろを振り返り ———
「七瀬ちゃん、いつも本当にありがとね。俺にとっての最高の式神だよ!」
「…!! い、いえ。あなたに仕える者として当たり前の事を…しているだけですので」
「行って来ます」と再度右手を振ると、善逸は今度こそ本当に行ってしまった。
『皆様から情けないと言われる事も多い善逸様ですが、秘めた力は果てしなく強い。私もそんなあなたに仕える事が出来て…幸せです』
山吹色の直衣が見えなくなるまで、姿を見届けた七瀬は静かにその場から消失した。
「善逸様、またいつでもお気軽に呼んで下さいね」
「…! ありがとう、七瀬ちゃん」
式神の心の声は、やや遅れて主の元に届いた。
〜終わり〜