第22章 落花流水 前
────ではこの任を無事終えた暁には、褒美として俺が安土城下を案内してやるとしよう。
当時の彼女は色んな意味で余裕がなかった事もあり、もうあんな些細なやり取りなど忘れてしまっているかもしれないが。
(俺が覚えていれば、それでいい)
わざわざ言う必要もない。こうして凪が楽しそうにして喜んでいる。その姿を目にして癒やされているのは紛れもなく、自分自身なのだから。
「光秀さん、見てください」
「…ん?」
凪が不意に光秀を呼んだ。自らの両手を太腿の辺りに置き、軽く身を屈める体勢で居た凪が振り返って光秀の方を見ていると、男は小さく反応を示して緩やかな足取りで隣へ並ぶ。凪の前には中くらいの壺が置かれており、それの蓋をぱかりと開けると、その中身を光秀へ見せた。
「これ、茴香(ういきょう)っていって、魚料理とかにも使われたりするんですよ。生臭さを取ってくれたりします。後は胃腸を整えたり、咳止めとかにも使えたり…ちゃんと種の状態で加工されてるの、こっちでは初めて見ました」
「ほう?」
光秀としては一般的なものを除き、薬草にはそう詳しくない為、凪に教えられるというのは些か新鮮である。細長い縦縞の模様が入った薄淡い茶色のそれが詰め込まれた壺へ軽く身を屈めれば、確かにふんわりと馴染みのない、鼻腔をほんのり刺激する────現代でいうところのスパイシーな香りが漂って来た。
「これが欲しいのか」
「え、いやそういんじゃ…!というか買うなら自分で買います」
「これをひと壺貰おう」
「そんなたくさん要りませんから…!!」
凪へ顔を向け、問いかければ驚いた様子で彼女が首を振る。いつぞやの焼き物屋で起こした問答を思い出し、凪の返事を予測した男が一足先に動いた。
凪の顔より一回り程大きい壺いっぱいに入った茴香を、文字通り大人買いしようとする光秀へ焦った声を上げた凪が男の袖を引っ張る。日ノ本にも生えている植物ではあるが、加工済みのそれ等をまるっと大人買いなど、一体幾らするのか想像するだけで恐ろしい。