第22章 落花流水 前
「俺の為に浮足立って支度をするとは、健気で愛らしいな」
「ち、違いますから!別に光秀さんの為にお化粧頑張ったとか、そんなんじゃないですから…!」
面と向かって自分の為にめかし込んだのか、と言われてしまうと恥ずかしさに拍車がかかるというものだ。わざと言われていると分かっているが、完全に否定出来ないのも悲しいところである。とはいえ、そうですとはっきり言えない凪は必死に眉根を寄せて反論を紡いだ。否定すればするだけ真実だと言っているようなものだが、生憎とそこまで思考する余裕は今の凪にはない。
眉尻を下げ、困ったような表情で顔を背ける凪を見つめ、光秀は笑みを深めた。指先を滑らせ、緩く巻かれたサイドの黒髪を自らの指先にくるりと軽く絡めた男が耳朶の手前へ顔を寄せ、囁きを落とす。
「よく似合っている」
「……!!」
低めた甘い声が届けられた後、耳の少し手前へ口付けられ、凪の眼が見開かれた。こうして真っ直ぐ光秀に褒められたのは摂津以来だが、あれは言葉の策略だと思っている為、凪の中ではカウントされていない。故に、本心で褒めてくれているのだ、と素直に感じる事が出来たのはこれが初めてのようなものである。ぎゅ、と心の奥が握られるような感覚になり、気恥ずかしそうに凪は顔を染めて俯きがちになった。
「……ありがとう、ございます」
するりと指先に絡めていた髪から抜き去った後、視線を落ち着きのない様子で彷徨わせる凪の髪を乱さぬよう気遣いながら光秀が軽く頭を撫でる。この表情が見れただけでも、凪を誘った甲斐があったというものだ。少し乱れた卯の花色の長布を整えてやると、幾分落ち着いたらしい彼女が思い出したように声を上げる。
「ところで光秀さん、いつ部屋に入って来たんですか?」
凪は別の何かを【見て】いる最中、意識が完全にそちらへ持って行かれてしまう事もあり、現実世界への注意力が完全に散漫になる。先程の一件も、正直光秀がいつ自分の前にやって来たのか分かっていない。問いかけに対し、光秀はああ、と短い相槌を打った後、いつもの調子で答えた。