第20章 響箭の軍配 参
天幕を出た後、馬の準備を終えて待機していた光忠の姿を認め、光秀はそのままひらりと騎乗する。手綱を握り、馬上から自らの従兄弟であり、重臣の一人である男の姿を見下ろした彼は、真摯な色を込めた眼差しを相手に注いだ。
「凪を頼む」
「御意のままに」
頭を下げ、主君からの命令を拝受した光忠は、馬の腹を蹴って走り出した光秀を見送る。遠ざかる白い背が見えなくなるまで見つめていた男はやがて、意識を切り替えるように息を漏らし、眸に鋭い色をたたえたまま、まずは凪の天幕周辺の人払いをするべく歩き出したのだった。
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─────信長本隊。
戦況は膠着状態、とはよくもまあ言ったものである。
二日目に突入してからというもの、相手方の兵の動きが格段に悪くなっているとはさすがに思わず、信長はやり甲斐の感じられない、言ってしまえば手ぬるくつまらない戦に短く鼻を鳴らした。
陣の組み方や兵士の士気、目の色などが格段に変わっており、それ等はいずれも織田軍が大した事のないものであると侮っている、というだけでなく総大将たる男の気の緩みが大きな原因となっている事は明らかであった。自らが生かされている、という状況だと何ひとつ知らぬまま、光秀と清秀が仕組んだ盤上で遊戯をしているなどと気付かず、敵本隊の中央でふんぞり返っている男の姿を遠目に見やり、信長はただ静かに緋色の眼を眇める。
「手ぬるくやるのも些か飽きた。早々に敵将の首でも獲りに行くか」
「信長様、どうかそれはお待ちを!」
「ご覧ください、おそらく光秀様の伝令でしょう。兵がこちらへ向かっております」
信長の周囲を固めていた兵の一人が慌てた様子で彼を引き止めた。今ここで総大将の首を獲ってしまうと、これまでの苦労が水の泡と帰してしまう。そもそも今回は総大将の首を獲る事が明確な目的ではない。極力無益な殺生はしないように事を進める、という策の通り、重傷者はさておき、おそらく敵方にも致命傷を負った者は少ないだろう。この小国は力こそ弱いが、上手く使えば南方からの敵を食い止める要(かなめ)の国ともなり得る。それを上手く利用しない手はないのだ。
別の兵がかけて来た言葉の通り、後方からやって来た光秀の伝令兵が信長へ近付き、一礼する。