第5章 摂津 壱
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摂津国(せっつのくに)は山城国の隣国であり、魚介類と川魚、酒などが有名な比較的広い領土を誇る国で、現在は織田軍の領土となっている。
光秀の言葉通り、支度と早めの朝餉を済ませた二人が旅籠を発ったのは、初日よりも半刻程遅めの時間だ。
幾度か馬の体力などを考慮した休憩を挟みつつ、領土内である為か今度は堂々と関所を通って来たおかげで時間を短縮でき、光秀と凪が摂津入りを果たしたのはその日の夕刻であった。
日の落ちきっていない刻限、夏に向けて日が長くなって来ているこの時期は、夕刻であってもやはり明るさが目立つ。
今夜の宿だと向かった先も、昨日泊まったような隠れ家的立地で、町中の奥まった所に位置していた。造りは元々誰か武家の屋敷であったのだろう、母屋と本殿が一本の渡り廊下で繋がっていて、ぐるりと囲む小規模な竹林と整備された中庭は中々に風情がある。
本殿には厨、湯浴み部屋といくつかの大部屋があり、今度は人払いがされていないのか、主に商人であろう者たちや、それなりの財力があるらしい旅芸人たちが大部屋に仕切りを立てて泊まっているようだった。
光秀と凪が通されたのは、予め話を付けておいたのだろう母屋で、昨夜の宿と同じような規模の部屋が二つ程と、簡易的な厨が設置されている。
部屋は襖で中央を仕切った続き部屋であり、渡り廊下に繋がる入口は一方の部屋にしかない。つまり、奥の続き部屋に向かうにしても、必ず手前の部屋を突っ切らなければならなかった。
ちなみに厨は渡り廊下から部屋に至るまでの廊下の先にあるらしく、自由に使って良い旨を宿主から告げられている。
宿主の案内を耳にしながら後について歩き、光秀は屋敷の構造を把握しつつ、さり気なく、しかし油断のない眼差しでざっと辺りを見回した。
本殿に宿泊している者達の中で、顔を窺う事の出来た相手を確認する。敢えて人払いをここでしなかったのは、あまり目立つ事を良しとしなかったからだ。
(人の口に戸は立てられない、というからな。まあそれが時に役立つ事もあるんだが)
下手に人払いをして、宿内の人間が妙な勘繰りを入れては面倒だ。光秀にとっては自軍織田領であっても、ここは敵地に変わりはない。この国へ足を踏み入れた瞬間から、既に危険は隣合わせに存在する可能性がある。