第4章 宿にて
「…何をですか」
まったく悪びれた様子のない男の、諭すような調子に凪が憮然と問い返す。
じとりと半眼になった彼女の腰を着物の上からひと撫でした後、いまだ腕枕をされた状態の凪へ更に顔を寄せた光秀が、互いの額を触れさせ、吐息の交わる距離で眸を覗き込んだ。
凪の瞳一杯に映り込む自身の表情が愉しげな色を浮かべている様を認めつつ、男の唇が囁きを生む。
「男の前では、お前のような小娘が作る他愛のない境(さかい)など無意味だという事をな」
鼓膜の奥に届く、低く艶の乗ったそれは、無意識下に凪の肩を震わせた。
畏怖とは異なる、どちらかと言えば湧き上がる羞恥心にじわりと耳朶を赤く染めた凪の表情が見る見るうちに色を帯びる。
勢いを付けて無理矢理男の腕を引き剥がした彼女は尻を褥へ付けたまま、ずり、と布擦れの音を立てて一気に距離を取った。
わななく唇は必死に反論の言葉を探しているようで、しかし頭に何も浮かんで来ないのか、結局音になる事はない。
警戒の足りない無防備さを身をもってして、たしなめたつもりであった男の心の内に小さな加虐の火が灯る。
凪の態度は新鮮で、色恋などに慣れた女特有の計算高さがまったく見えない。ひとつひとつ律儀に反応する様を前に、悪戯な心がいやに刺激された。
「…さて、朝餉を済ませたら早々に出るぞ。お前も早く支度しろ。なんなら添い寝したよしみで俺が着替えを手伝ってやってもいいがな」
これ以上戯れてしまっては本格的に凪の機嫌を損ねかねない。
そろそろ遊びも終いかと身を起こした光秀は夜着の合わせが乱れて素肌を覗かせた状態のまま、片膝を立てて座るとわざとらしく首をゆっくり傾ける。
「─────っ、結構です!!」
部屋に響く強い拒絶を聞きながら、任務中にしては珍しくすっきりとした目覚めの気配に、男がそっと口角を持ち上げたのだった。