第17章 月に叢雲、花に風
権力を笠に着る形ばかりの大名、上っ面だけで求める女、飢えた民を放置して私腹を肥やす者達、身分を振りかざし、人の権利を容赦なく奪う輩。
争いをなくし、人の権利を守り、誰もが軽んじられる事のない太平の世を作らんとする男の大義に反するような女であれば、例え光秀が愛でていようと引き離さなければならない。
(だが、あの女はどうにも変わっている。私に靡かぬは光秀様の御顔を見慣れている故かと思ったが、違うらしい)
家康が訪れる前に交わした幾つかの言葉を思い起こし、光忠は眼をすっと眇めた。自分に対してあそこまではっきりと言い返して来た女は初めてだ。
これまで大事なものは大義一つとして来た光秀が、初めて傍に置いた女。護衛と護衛対象という珍妙な仲だと主張していたが、果たして。
(光秀様のお気持ちは、どうであるのか。まあ、あんな御顔を見せられてしまえば、他者はどうあれ私には一目瞭然というもの)
しかし肝心の相手はそこまで至っていないらしい。光秀が向ける眼差しの熱と、凪が光秀に向けるそれは異なっている。なるほど、あの方が本気になったとて落ち切らない女とは、なかなか面白い。そう思った時には、光忠の口元には仄かな弧が刻まれていた。
(……さて、)
「凪」
光秀に注いで貰った盃を傾けている彼女の姿を映し、手にした自らの盃をぐいと飲み干した光忠は、主君の気に入りの女と知りながら、敢えてその名を呼び捨てで呼ぶ。
呼ばれた凪本人と、その様を一度目にしている家康はさておき、初めて光忠が凪の名を呼ぶ様子を目の当たりにした光秀の眉根がほんの僅かにひくりと動いた。
「は、はい?」
それまで口数の少なかった光忠に突然呼ばれ、些か驚いた様子で漆黒の眼を瞠った凪が返事をする。彼女が手にしていた盃を膳へ戻した姿を見やり、光忠は空になった盃を軽く上げた。
「私にも是非、一献注いではくれないか」
「え」