第7章 摂津 参
「……学のない私如きでは到底理解しかねるお話ではございますが、もし本当に…亡霊が貴方様の元を訪れたとしたら、あの女はまこと天眼通の持ち主なのやもしれませぬ」
呆然とした面持ちのまま、焦点の合わない眼で小さく呟きを落とす八千を前に、香車は再び肩を竦めた。やがて男は背後から感じた気配に身を硬くし、すぐさま音も立てず八千を自らの背で隠すように腰を低めて立つと着流しの懐から一本の苦無を取り出し、静かに構える。
「な、なんだ…!?」
突然の男の行動に驚き慄く八千を他所に、香車の表情は動かない。二人の正面にある閉め切られた襖がゆっくりと開かれ、しゃら、と腰に巻いた細い飾り紐が揺れた。
「…久し振りだね、八千殿。貴方と会うのは、石山本願寺での大戦以来かな」
低く艶めいた音が緊張感もなく届けられる。
見開いた八千の目が恐怖と仄暗い歓喜を滲ませ、熱く滾るような感覚に拳を強く握り締めた。
それは理屈を軽く飛び越えたところにある、直感めいた信仰心故の確信だ。
(…まさか、まことに…!!)
己の背後で歓喜に震える八千を何処か冷めた目で流し、意識を正面へ再び向けた香車は、視界に映り込んだ姿を前に、興味深そうな様子で眼を眇める。
室内へ躊躇いなく踏み込んで来たのは、まさに先程二人の話題へ上っていたいた存在。白藍色の長い髪を揺らし、緩く着崩した着流しをまとう浮世離れした美しさを持つ男───有崎城の亡霊、中川清秀、その人であった。