第2章 軍議と側仕え
紅を引いた口許が愛想の良い笑みを形取り、手にした盆を軽く持ち上げてみせる。
厨の入口に近い柱の影、落窪んだ空間に背を預けたまま胸の前で緩く腕を組んでいた男───明智光秀は彼女の所作に少しばかり面白そうに吐息だけで笑った。
「あんな小娘に側仕えの女中を付けるとは、信長様にも困ったものだ」
「信長様は様々な事をお考えの上で、そのように命じられたのですよ。まだ少ししかお話しておりませんが、わたくしはあの御方、嫌いではありませんよ。同性の知り合いが出来て嬉しいと喜んでおりました」
「ほう、お前がそこまで言うとはな。それにしても、喜んでいた…か。軍議の場では、警戒心剥き出しの小動物のように強ばった顔をしていたと思ったのだが」
「ただでさえ突然名だたる武将様方の前に連れてこられたのですもの…当然ですわ。…加えて」
ちらり、とお千代の視線が静かに光秀へ流され、すぐに何事もなかったように逸らされた。
「きっとどなたか、腹の底の読めぬ御方にでも意地悪されたのでしょう」
「…その【腹の底の読めぬ御方】とは気が合いそうだ。今度酒でも酌み交わしたいものだな」
「まったく白々しいこと」
取り合うつもりのない男の飄々とした発言へ、つい半眼になったお千代が隠しきれない溜息を漏らし、止めていた歩みをおもむろに再開する。煎れたばかりの茶がこれ以上冷めてはいけないと、己の本分へ意識を向けたのだろう。
光秀は女中にしては些か慇懃なお千代の態度を咎める事もなく、彼女の歩みを静かに見やった。
「そういえば」
ぽつりと思い出したようにひとつ零し、振り返らぬままお千代が立ち止まる。
意識をそちらへ向け、沈黙する事で先を促した光秀の様を理解しているかのように、彼女が続きを発した。
「お食事は汁物からお召し上がりになりました。毒味は済んでおりますとお伝えしましたら、毒味という行為そのものに驚いていらっしゃいましたよ」
お可愛らしい御方ですよね。そんな一言を付け加え、お千代はやはり光秀を振り返らず、今度こそその場を立ち去って行く。
遠ざかって行く彼女を一瞥したのち、胸の前で組んでいた右手をおもむろに顎付近へあてがった。
金色の眸が瞳孔を眇めるが如く細められ、長い睫毛の影が白い肌へ落ちる。長い指先を口許の歪みへ添え、それを隠すようにして音が空気を小さく振動させた。
「…さて、どう出るか」