第3章 【ルリ】君にありったけの幸福を
そう語る桜子は、ルリの前では元気そうに見えた。だけれども彼女より二つ上だと言うのに、未だにほっそりとした筋肉の薄い腕を見ていれば、正常な成長が阻まれていることは明らかであった。
「ご飯は食べていますか」
「うん、食べてるよ。クロムが本当に良い奴で、いつも僕の家に持ってきて……っ、ごふっ!」
桜子が勢いよく咳き込んだ。松葉杖の片方がカシャンと音を立てて倒れ、座り込んだ彼は左手で口元を覆う。ごほごほっ、と空咳が止まらない桜子の背中を、慌ててルリは摩る。やがて咳は最後に痰を引き出し、終焉を迎えた。
「咳の度に、もしこのまま止まらなかったらどうしよう、って思うんだ」
そう言いながら、桜子はよろりと体勢を整えた。懐から布を取り出して、黄色く染まった片手を拭う。慣れた手つきに、これは彼からしたら普段通りなのだとルリは悟った。ルリも弱き身体ではあるが、ここまででは無い。そして、咳の度にこのままこの咳が止まらなかった未来を恐れていた。一緒だ。同じなのだ、彼は。母が死の道を辿ったように、桜子も何れは——死んでしまう。
「……どうして、幸福をいつも私に譲るのですか」
「ルリ?」
「いつも、桜子は四葉のクローバーを私に贈ってばかり」
本当に幸福が必要なのは、貴方の方なのに。ルリが涙する姿を、静かに桜子は見ていた。泣きじゃくる彼女に、ハンカチを差し出した。なかなか受け取ろうとしないルリに、困ったように彼は眉尻を下げた。
「ルリ。君は真面目だから、辛い時も我慢するだろう?そんな時はね、僕を呼ぶんだ。僕は口を割ろうにも肝心のお口がこの有り様だからね、君が病に蝕まれて弱ってた、なんて他の人に口外なんか出来ない。何より——僕だけは、分かりたいんだ。同じ病だからこそ、君を分かりたい。僕とは置かれた立場が違うとか、巫女だから長生きしなきゃいけないとか、そんな事は知ってるさ。僕はそれでも、少しでも君には笑っていて欲しいんだ。だからお願いだ」
このハンカチを受け取ってくれ。そう願われてしまっては、ルリは受け取るしかなかった。目の縁から零れ落ちる雫に押し当てれば、鹿の身から剥いだ皮が微弱ではあるが吸い取ってくれる。彼の温もりが、ハンカチをつたってルリの心に染み入る。そう、同じ死病に罹っているからこそ出来る事があるのだ。
