第29章 木天蓼はおあずけ
「いつもご来店ありがとうございます!」
お店の雰囲気にぴったりの綺麗なお姉さんがはきはきと御礼を告げ、ハートマークを二つカードに増やす
気まずそうに下を向いた彼は無言で会釈をしてピンクのそれを受け取った
「まだ居てもよかったのに、」
「いや、帰れなくなる」
一時間半以上は居ないようにしてるんだ、険しい表情で語る彼に私はまた必死に笑いを堪えた
ミルクティー色の猫ちゃんが名残惜しそうに相澤くんの足に擦り寄ると、手を伸ばしてしゃがんだ彼はその子の数倍名残惜しそうな顔をしていて
「みんな本当に可愛かったね」
「・・こいつは特にな」
視線をその子に向けたまま、撫でる手を一向に止めない相澤くんに店員さんの視線を感じて、私はもう片方の彼の腕を引っ張り上げた
「ええ、雨かぁ・・」
暖かく心地のいい空間から一転、白い息が浮かんでは消える寒空を見上げると刺すような雨がぽつぽつと落ちる
「ん」
広げられたコートのポケット、ご厚意に甘えて滑り込ませた私の手を暖めるように彼は冷えた指先を包んで
それだけで私は一瞬にして幸せになってしまうのだから不思議だ
「冬の雨も、悪くないかもしれない」
「・・?嫌いだろ、雨」
「うん、でも、思い出すから」
赤いビニール屋根の下、照れ臭さを誤魔化そうと笑うと相澤くんが一瞬目を見開いて
すぐに逸らされた目があの日と重なって、私はまた幸せになった
「悪いが今日は、貸せる傘は無いよ」
耳を赤くして呟いた彼がポケットの中の手を強く握って、そのまま小雨の中に足を踏み出す
少しの間だ、我慢してくれ、巻いていたマフラーを私の頭に掛けると歩く速度を上げ、人通りの多い繁華街から裏道に入った
「相澤くん、どこ向かってるの、」
「もう着く」
「え、でも、この辺って・・」
「さっきの店にはお前が行きたがったんだ、
次は俺の行きたい場所に付き合えよ」
にやりとこちらに目を遣った彼はどの建物にしようかと辺りを物色して、私は誰かに見られてやしないかとおろおろ周りを見回す
「こ、こういう場所はちょっと、」
「何を今更」
「いや、そうなんだけどね・・!」
意地悪な笑みを浮かべた相澤くんは慌てる私の腕を引いて、建物の前「宿泊」の上に書かれたその文字を指さした
「”休憩”、したいだろ?」