第9章 花散し
一通りの接待を追え、屋敷に帰ってきてゆっくりとできたのは元旦の午後。
舞台が終わった後の急激な冷え込みを思い出すと、あの場に居合わせたのではないかと考えもした。
すっかり雪が積もってしまった庭を見ては、懐かしい想いに駆られながらも、「浅ましい」と頭を振りはらう。
わたしが選んだこと。
もう二度と帰れない。
わたしがわたしではなくなってしまう…。
弱音を吐いてはダメ…。
不意に涙が溢れそうになるのをカラ空気を飲み込むように耐えたけど、絶えず胸の痛みは収まりそうにない。
表の戸がドンと荒々しく開け放たれた音がした。
旦那様だろう。
いつものように使用人の慌てた声。
しかし旦那様の足音がこちらの部屋へと近づく。
息が出来ない…
逃げたいという恐怖心に戸惑い身をこわばらせた。
突然、戸が荒々しく開け放たれる。
「この…アマァ……」
鶴之丞の瞳は、まるで憎悪に燃える獣のようだった。
「だ…旦那さ…!」
怒りにまかせ、強引に胸ぐらをつかまれ、振りかぶる手
パチンと乾いた音で聴覚と心臓と痛覚が委縮する。
ワケも解らず、恐怖に満たされ、叩きつけられた床から体を起こすことが出来なかった。
見上げた先の男は、菖蒲がよく知る鬼よりよほど鬼のように映る。
「……汚らわしい」
鶴之丞の口から吐き出されたのは、ただその一言だけだった。
男にとってその言葉は
過去の恐怖に突き動かされた魂の断末魔。
菖蒲の華やかな衣装、先ほどまで神の光を纏っていた白絹を掴む。その力は容赦がなく、襟元が裂ける音すら、鶴之丞の憎悪の前にかき消された。
「旦那様!!おやめくださいまし!!神楽の衣装を引き裂くなど…!!」
「貴様が着るから穢れるのだ!!」
手首を掴んでも、憎悪で満たされた男の力の前には無力。ばたばたと走りくる音。
「家元!!奥様に何を…!」
「引っ込んでおれぇっ!」
「今まで黙って耐えておりましたが、あんまりではないですか!奥様は…!」
使用人の女が止めに入るも、それを払いのけて、なおも菖蒲の衣を引き裂く。
恐怖で息もできない。
ワナワナと震える菖蒲をみて、使用人の女が再度家元の腕へとしがみつく。
「おやめくださいまし!!奥様がこれまでどんな思いで家を守ってきたとお思いですか!!」