第1章 0.タナトスの手
私は学園長に頭を下げると、部屋を出ようと踵を返した。
「ひとついいですか、シェラくん」
場を辞そうとした私へ、学園長は声をかけた。
扉のそばでエースとデュースを待たせて、私は学園長の元へ戻る。
「いかがされましたか」
仮面で目元を隠した学園長の表情は分からない。
ただ、口元が笑っていなかったから、真面目な顔をしているんだろうと私は想像した。
「シェラくん、何か記憶は戻りましたか?」
「いえ。元いた世界……故郷の記憶はありますが、私自身に関わることはなにも」
寝て起きたりとか、ふとした拍子に何かを思い出すかも、と思っていたけれど、そう甘くはなかった。
この世界に来て数日、私は未だに自分自身のことは何も思い出せない。
「そうですか。……貴方が記憶を全て〝取り戻すようなこと〟があったら、私の元へ来てください。いいですね?」
妙に引っかかるような言い方だ。
まるで、記憶を取り戻してはいけないよう忠告するような、含みを持たせた言い方に、私は眉を寄せた。
「その言い方は、私に〝記憶を取り戻すな〟と仰ってるのですか?」
「いいえ。私の言葉をどう受け取るか、それは貴方次第です」
にっこりと、学園長の黒く塗られた唇が弧を描くと、もう話は終わりと言わんばかりに私の背を押して、エースとデュースの元へ向かわせた。
元の世界に帰る為には、私の記憶が必要なのだろうか。
確証は持てないにしても、要素のひとつではありそうだ。
学園長の言い方は少し腑に落ちないけれど、元の世界に帰る方法を探しながら、自分自身のことも思い出していこうと思った。
今の私には、学園長の発言よりも明日から始まる魔法学校での生活の方がよっぽど気がかりだった。
扉のそばで待っているのは、明日からの学友。
なんだかんだで長い付き合いになりそうだ。
私は、エースとデュース、そしてグリムに『お待たせ』と声をかけて、学園長室を後にした。
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