第16章 氷菓
「アイスが食べたい」
時刻は夜の24時。風呂から上がった麻衣がおもむろにそう言った。
「む?あいす?」
俺は読んでいた本から顔を上げ、麻衣の方を見る。すると麻衣が濡れた髪のまま外に出ようと靴を履くので、俺は急ぎ立ち上がって止めた。突然何を言い出すのか。俺は薄い部屋着を着る麻衣に俺の室内着を脱いで肩に掛けてやる。
「暖かくなってきたとはいえまだ夜は冷える。そのような姿で外に出ては風邪をひくぞ。」
「なんかこう、濃厚で、甘くて、とびきり冷たいアイスが食べたい気分なんです。」
「とりあえず髪を乾かすんだ。」
肩を掴んで座らせ、手にドライヤーを持たせる。渋々髪を乾かし始めた麻衣を見ながら、俺は麻衣の髪を指ですくった。風呂上がりの髪が光をまとってとても美しい。麻衣を見ると、なおも「アイスが食べたい」とうわ言のように言っている。俺はそんな様子の麻衣に問いかける。
「なぜアイスが食べたいのだ。」
麻衣が髪を乾かし終わってドライヤーを止める。少し頬を膨らませて俺を上目遣いに見た。その表情も愛しい。
「そういう気分だからです。」
「この時間から物を食べては、身体に悪いぞ。」
俺は時計を見る。もうそろそろ眠った方が良い。眠って、明日買いに行けば良い話だ。麻衣の方を見ると、俺の言葉に首を横に振った。
「でも食べたいです。アイス。」
こうなってしまっては仕方あるまい。俺はため息をついて立ち上がった。
「ならば俺も共に行こう。この時間に君を一人で歩かせる訳にはいかない。」
「コンビニ、一緒に行ってくれるんですか?すぐ近くですけど…」
「当然だ。万一があってはいけないからな。」
俺がそう言うと、麻衣はとても嬉しそうに微笑み、財布を持った。先に靴を履くと俺の手を引く。
「杏寿郎さん、はやくはやく!」
「そう急かすな。」
近場に出かける時のために購入した草履を履くと、上機嫌な麻衣に腕を引かれながら共に家を出た。
外は、ほのかに湿気を帯びた空気が風呂上がりの肌に暖かい。麻衣と手を繋ぎ、静かな路地裏を歩いた。まるでこの世に俺と麻衣の二人だけであるような錯覚を覚える。雲が空の高くで浮かぶ。そんな静かな夜だった。