第30章 名も無き戦い
「……来たか」
広間に足を踏み入れた光秀を、義昭は脇息にもたれて出迎えた。
他に誰もおらず、襖を閉めると戦の喧騒が遠のいた。
「しばらくぶりです。ご機嫌いかがでしょうか、義昭様」
「そう悪くもない」
「それは何より」
光秀は刀を抜き放つと、地蔵行平の切っ先を将軍の脳天に向けた。
「あなたには死んでいただく。だが、その前に尋ねたいことがある」
「あの女の居場所だろう?」
くくく、と義昭は喉を鳴らして上機嫌に笑う。
「憐れよのう。いかに虚勢を張り刀で脅そうが、そなたは私にかしずくほかない。あの女は毒に冒されている。私を害せば毒消しは手に入らず、あの女は、確実に死ぬぞ」
「……っ」
「あの女の命が惜しいか、光秀」
「……ああ、惜しい。惜しいに決まっている!」
怒りに任せて叫ぶ光秀を見て、義昭は満足げに目を細めた。
「ははは!ようやく化けの皮がはがれたな!女ひとりで右往左往するとは、愚の骨頂。光秀、そなた……その程度の男だったか」
「何とでも言うがいい……!あの女のためなら、俺は命すら惜しくない!」
「ならば刀を捨て這いつくばり、私の足を舐め許しを請え!そして、これで己の腹を掻っ捌け」
「………!」
義昭が差し出したのは、豪奢な装飾の施された小刀だった。
むき出しの刃が、ぬらりと光る。
「私の前で見事絶命してみせるなら、あの女の居場所を教えてやる。毒消しも届けさせてやろう」
「そんな口約束を、信じられるわけが……!」
「そなたに選択肢などないぞ、光秀!」
「……っ」
「どうした、早うせい!」
光秀の手から、柄が離れる。
空虚な音を立て、刀が畳に転がった。
「……もはやこれまでか」
義昭の元に歩み寄ると、光秀は膝をついた。
「くくく……っ、ははは……!」
光秀が頭を垂れ、震えながら両腕を差し出す。
「地獄で、存分に悔いるが良い」
放り捨てるように、義昭が光秀の手に小刀を載せた、その時。