第22章 水色桔梗と鈴の祈り
時は同じくして、場所は京。
信長の命を狙う将軍足利義昭と、それに与する今川義元、毛利元就、遅れて到着した明智光秀が集まっていた。
光秀から織田軍内部の情報も得て、自分の勝利はもはや決まったも同然だと、将軍は機嫌を良くする。
「どれ光秀。宴の余興に、舞でもひとさし舞ってみよ」
「喜んで」
進み出た光秀は、義昭の側近が差し出した扇を手に取った。
朗々たる声で歌い出すと、扇で空気を撫でながら、その身を音に溶かす。
体の重みをまるで感じさせない優美な足運びは、人ならぬ者を思わせた。
「………」
流れるような所作を眺めるうち、ふと義昭の目に驚きが浮かぶ。
歌い終え、扇を閉じて礼をする光秀を、義昭はそばへと呼び寄せた。
「ときに光秀」
「はい、義昭様」
義昭が空の盃を差し出すと、光秀は徳利を持ち上げる。
「そなた……私の前に姿を見せるのは、いつ以来になる?」
「さて、何年になりますやら」
盃にゆっくりと満ちていく酒に、義昭の鋭い眼差しが注がれる。
「時透という者を聞いたことはあるか?」
「時透……?ああ、奥州にそのような名の男がいたような」
二つ目の質問に関して、光秀は一切嘘を言っていない。
本心から告げたことを感じたのか、義昭はそれ以上は訊かなかった。
「我が駒の正体が化け狐でないことを祈るばかりだ」
「………」
「あ……?」
「はてさて、何のお話でございましょう」
「何、心当たりが無いなら良い」
義元の何かに勘づいた表情に対して、元就は主旨の見えない話に怪訝な表情を見せた。
義昭の盃が空になったのを合図に、今日のところはお開きとなり、皆が退出した。
光秀と義元、元就が去ると、義昭は使者を呼び寄せた。
「引き続き、光秀の身辺を洗え。あれだけではまだ足りぬ。あれを私の思うがままに操れるだけの弱みを探り出せ。
あれには、決して外れぬ首輪をつけてやらねばな」
義昭は知らない。
“時透”がとある少女の父の名で、光秀は正直にそれを言っただけだということに。
そして、自分が求めている“外れぬ首輪”が、将軍の首にすら刃を向けるであろう、忌まわしき血を引く少女であることに。