第21章 狐の謀反
「今のは、大昔のとある策士の逸話の真似だが、まあつまるところ……、俺に関して、お前が心配することなど何もないということだ」
大怪我を負っていても、その声は凛として潔く、決して余裕を失わない。
その策士のことは、華音も知っていた。
その人も光秀も、己の義への忠義があってこそ覚悟が持てる。
これほど残酷な目に遭わされたのに、光秀の表情には、怒りも悲しみも絶望も見当たらない。
これでいいのだと、揺るぎなく確信しているのだ。
「……策士と貴方には、違うところが一つあります」
「……?」
「私がいる限り、貴方を鞭打ちにも病死にもさせない」
光秀のいつもは読めない瞳の奥が、不意に揺らいだその時、
「……っおい、なんなんだその有様は!?」
「__おやおや。お人好しがふたりに増えたな」
「開口一番に言うことがそれか!?」
秀吉が大股で歩み寄り、柵越しに光秀の胸ぐらを掴み上げる。
すかさず華音が止めようとする。
「秀吉どの、今はやめてください」
「わかってる……!わかってるが……もう我慢ならない」
「忍耐できない男は嫌われるぞ、秀吉」
「こんな時までヘラヘラ笑ってんじゃねえ……!」
柵越しに光秀の胸ぐらを掴み上げながら、秀吉が顔を歪ませる。
「お前、ほんとに……っ、何やってんだよ……!?」
秀吉が固めた拳を振り上げて、加減もせずに柵を殴りつけた。
物音がほとんどしない空間に鈍い音が響く。
「……やめておけ、秀吉。自分を傷つけて何の意味がある」
「お前が、それを言うのか……!?」
「………」
「……やりきれねえほど腹が立ってるんだよ。意地でも俺に『手を貸せ』と言わないお前に。こんなことになっても……まだどこかで、お前を信じたがってる自分にもだ」
苦しげな表情をする秀吉を、華音は黙って見つめていた。
先程、信長は信長なりに光秀を信頼していると言っていたが、それは秀吉も同じだ。
秀吉の中の光秀への信頼が揺らいでいることに、秀吉はどうしようもない悔しさを感じているのだ。
それぞれの義と数々の因縁が、解きほぐせないほどに絡まって、彼らの間を繋いでいるんだろう。